。市内から終点に向って来る電車はどれも満員で、陸続と下りる群集が、すぐ傍の省線駅や歩道の各方面にちらばるが、その電車が終点からベルを合図に市内に向けて出発する時はどれにも、ちらほらとしか乗客がのっていない。
 一台ポールの向きをかえるごとに、安全地帯の上をコツ、コツ、歩いている赧ら顔に新しいカンカン帽をかぶり、縞ズボンに白い襟がついた黒チョッキ、黒上衣といういでたちのずんぐりした四十男が、
「××橋行きでございます。××橋行きの方はおのり下さい」
 または、
「どこだい?」
と、横柄な親しさで背広服の急造運転手に声をかけ、
「×橋行か」
 声の調子を改めて、
「×橋行きでございます。――××方面のお方はおのり下さい」
 一こと一ことをはっきりと呼んで、またコツ、コツ安全地帯をこっちへやって来る。
 私がここへ来たばかりの時、その妙にきわだった服装の私服めいた男は、白粉やけのした年増女と、声高にこう喋っていた。
「あんまり見ちゃいられねえから、手伝ってやるのよ。――あっちこっちから役人をひっぱり出して来ているんだから、まるきし何も分りゃしねえ」
 そう云って、その横にいる私の方を聞いたか
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