ったとき、これも臨時ではあるが、遙に馴れている運転手が、
「左! 左を見て!」
とハンドルを握ったまま力をいれて早口に注意したが、俄車掌がやっとステップに出た時、とうにバスはその危険なところを横切ってしまっている。――
神田に向う電車通りに出ると、空円タクがふだんの倍ほど通っているきり、平穏である。むこうから一台、ワイシャツの前にネクタイをたらし、カンカン帽の運転手に運転された電車が来た。
私の乗っているバスの俄車掌は、停留所が近くなると、長い体を折って一々前方をすかして見ては、
「次は××町でございます。お降りの方はございませんか」
と呼んだ。そして、降りる者があると、その一人一人の後から、
「ありがとうございます」
と云うのである。その夏服の肩や襟のあたりはいい加減やけている。きょう一日のスキャッブ代金四円をこの男は夜になってどんな感情で数えるであろうかと思った。
昭和七年の争議では強制調停によってクビになった連中が、今日、あの当時からみると三円もやすくスキャッブに呼び出されている。それらの人々はどんな心持で乗車しているだろう。千何百名とかに、電気局は召集の電報を打ったそうだ
前へ
次へ
全13ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング