た。野上さんの謡の先生に、尾上さんという方があって素晴らしい謡だから一遍きかせたいと、招ばれたのです。謡は謡ですんで、内田さん、芥川さん、互に恐ろしくテムポの速い、謂わば河童的――機智、学識、出鱈目――会話をされた。どんな題目だったかちっとも覚えていない。感心したり、同時にこの頃の芥川さんは、ああ話す好みなのかと思って眺めた感じが残っています。作品についても同じ二様の心持が私の内に働いていた。陶器や書籍店の話が出て、私は Gaugh? のカタログを翌日送って上げた。

 その他公開の席でちょいちょい会うきりで、その俥に乗って田端の坂を登って行った時以上私の友としての心持は進みませんでした。
 七月二十四日に私は母を連れて福島県の田舎へ出立した。二十六日の昼頃、私の友達からの電報、新聞、ハガキ一度に来て、芥川さんの死なれたことを知った。急に立って東京に向ったが、汽車の中で日日新聞に出ていた小穴隆一さんのスケッチを見、涙が迫って堪え難かった。あのスケッチを見た人は誰でも芥川さんがいとしいと思ったでしょう。純なよきものが現れていて、これを描いた人はどんなに彼を理解し愛していたか、また愛される
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