。明治のはじめ、官員の若様が金をもって熱海へ来たのであったから、とりまきがついてお酌をあてがった。それがはじまりでこの人の一生は惨憺たるものとなった。祖母は、不良少年のようにしてしまった発端における自分の責任は理解出来ないたちの人であったから、やくざになった一彰さんばかりを家名ということで攻めたてた。親族会議だとか廃嫡だとか大騒ぎをした。そして、そのごたごたの間に母の実家は潰れた形になった。妹である母は、高島田に紫と白のあけぼの染めの絹房の垂れたかんざしをさした頭を下げて、兄の借金の云いわけをしたのであった。
従って謙吉さんのつよく大きい人柄は誇張されて一家のものから評価され、たよられていたと思われる。そういう実家のごたごたの度に、母は、謙吉さんがいてくれさえしたら、と涙をこぼした。気がちがった謙吉さんのいる家は、それからのち、田端の汽車を見にゆくたびに思い出された。こわさと珍しさ、妙になつかしさの入り交った気もちで左手の崖の方を見上げた。もとよりそうして見上げたからといって、屋根の棟ひとつ目に入るわけでなかったのだけれども。――
崖が右手に聳えはじめているが、しかし左手はまだ平ら
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