小説は、どんな俗人も感服するこの風※[#「耒−人」、第3水準1−14−6]だけでは書けなかった。ましてや、アンデルセンという北欧の文学者を、その本人の精神よりもロマンティックに日本に紹介した「即興詩人」の訳は出来なかったであろう。文学のえらさはいつもどこか世間並のえらさのけたをはずしている。ゲーテは十八世紀末から十九世紀の初頭にかけてアポロと云われたそうだけれども、ベートーヴェンの伝記をみていたら、同時代人としていろんな芸術家の写真がのこっていた。シューベルトとゲーテとの写真がそばにあって、自然見くらべられた。シューベルトの表情の正直さ、かけひきのない顔つきは彼の音楽を思いおこさせ、見くらべるゲーテの相貌の見事さにかかっている俗な艷出しにおどろいた。偉大な俗物というゲーテへの判断をうなずいた。
 おかぼの穂がみのり、背高いキビが野趣にみちて色づき初冬に近づいたこの頃、大理石の鴎外はべつのかぶりものをもった。それはアンペラである。丁寧に、繩の結びめも柔かくアンペラで頭部をかくまわれた。雪と霜とで傷められるのに忍びないのであろう。
 キビの葉は乾いた音をたてて、この辺の焼けあと、あちこちに
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