上に茶室めいたつくりの小さい家が白く障子をしめて建っているのなどもわかった。からたちの垣に白い花が咲くころ、柔かくゆたかな青草が深くしげったその廃園の趣は、昔、植えられた古い庭木が枝をさしかわししげっているためもあって、云うに云えない好奇のこころを動かされた。からたち垣のこわれたところから、女の子はあこがれのこころをもって、その人気なくて、しかも人間に近い廃園をのぞいた。この廃園は昭和に入ってから、市島という越後の大地主に買いとられた。からたちの垣はもうすたれて、いかめしい非常に高いコンクリート塀がこの一区画をしきることになった。きょう、塀そとを通る私たちに見えるものは、昔ながらの丸善工場のインクの匂う門のあたりに、繁った古い樫の梢ばかりである。
その時分、この辺にほんとに、からたちの垣根が沢山あった。松平の空地をめぐって、からたち垣があるばかりでなく、その斜向いの千種さんの家のからたちの垣が、うちの古びた門につづいていた。あとでは分譲地になった、すぐ近所の須藤さんの杉林がからたち垣だった。うちの裏がやはりからたちで、シロという犬がその下をくぐって出入した。そればかりか、藤堂さんの森のぐるりを囲むのもからたち垣だった。この森では、つい先年まで梟が鳴いた。空襲がはじまってから、どういうレイダアのお告げだったのか、藤堂さんのところに先ず爆弾がおちて、ほんの僅かの距離しかないうちのゆずり葉の下の壕にかがんでいた私を震撼させた。次の月には焼夷弾が落ちて、全焼してしまった。その火の粉は、うちの屋根にふりそそいだ。又その次の月には、焼けのこった藤堂さんの石垣にぴっしりと爆弾が投じられた。森も何も跡かたなくなった。今年の夏、医者通いをして久しぶりにこの裏通りを通ってみれば、もと藤堂の樫の木や石倉でさえぎられていた眺望は一変して、はるばると焼けあと遠く目路がひらけた。九尺に足りないその裏通りのあちらの塀から這い出した南瓜の蔓と、こちらの塀から伸びた南瓜の蔓とを、どこの若い人のしたことか、せまい通りの頭の上で結び合わして、アーチにしてあった。大きい葉の間に実にはならないながら黄色の濃い花が点々と咲く南瓜のアーチは、その下を往来するものに結び合わせた人のこころもちの興までを笑ましく思いやらせた。
動坂の手前の焼跡に立つと、田端の陸橋が一望のうちに見えるようになったとおり、空襲のあと
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