田端の汽車そのほか
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)迷える羊《ストレイ・シープ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)謎のように|迷える羊《ストレイ・シープ》という

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)風※[#「耒−人」、第3水準1−14−6]
−−

 東京に対する空襲ということが段々まじめに考えられるようになってから、うちではよく夕飯後に東京地図をもち出した。その頃もうわたしは目白の家をひきあげて友人がそこに住み、本郷の弟の家に暮しはじめていた。
 弟の一家は三人の子供に夫婦ぎりであるけれども、なかの女の児がひどく弱くて、五歳を越しても歩けず、物云えない病体でいる。その児のためには、防空演習さえも無理であった。防空演習が、防空という実質より、一致精神の鍛錬めいたものとなってからは、そんなに弱い娘の子がいて運搬がむずかしいという実際さえも、何か精神の不一致を意味するように見られて、うちのものは漠然と気味わるがった。田舎に避けて暮す、ということも強制疎開などという言葉が出来なかった時分は、家内の相談という形をとり、しかもそれもひっそりとするような工合であった。東京の市民は東京を死守せよ、一歩も出さない、という風なこわい気風もあったのであった。
 東京地図などが持ち出されるのは、大抵従弟で、戦争を実地に経験して来たような客のある晩であった。
 どうだろうねえ、どう思う? そんなことから、どれ、東京地図あるかい、という調子で地図が出され、その地図を開いてテーブルの上にひろげ、両膝をついて先ずのり出して来るのは九歳の太郎であった。
 従弟のような経験のある人は、地図をひろげて大体重要工業地帯と諸官省の中心地帯とをさした。地図の上で指されるそれらの地区は本郷区のぐるりのどこかに隣接してはいてもうちのある林町界隈までは距っていた。心配は直接本郷あたりが襲撃されることではなくて、思いがけず大規模の被害が生じたときその真中に安全な本郷、またはこの辺が、逃げ場のない袋の中に入ったことになるかもしれないことだ、という風に話された。
 誰の話でも、本郷あたりは何かあっても最後だろうと考えられていた。上からみれば木ばかりみたい
次へ
全10ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング