がら西の山かげに太陽が沈みかけると、軽い蛋白石《オパール》色の東空に、白いほんのりした夕月がうかみ出す、本当に空にかかる軽舸のように。しめりかけの芝草がうっとりする香を放つ。野生の野菊の純白な花、紫のイリス、祖母と二人、早い夕食の膳に向っていると、六月の自然が魂までとけて流れ込んで来る。私はうれしいような悲しいような――いわばセンチメンタルな心持になる。祖母は八十四だ。女中はたった十六の田舎の小娘だ。たれに向って、私は、
「ほう、おかしいことよ、私は少々センチメンタルになって来てよ」
といわれよう! 私は、御飯時分になると、台所の土間に両足下りて、うこぎ垣越に往還に向い拍子木をパン、パン、パンとたたいた。あたりはしんとした夕暮の畑だから、音はすんで響き渡る。するとかなたの花畑の裏の障子がさらりと明く。もうぼんやりした薄明で内の人の姿は見わけられないが、確に人がい、開けた障子の窓からこっちに向って、今度は手ばたきで答える。
「わかりました、じき上ります」
という暗号なのだ。それをきくと私は安心して茶の間に戻って来る。そして、小さな女中にいいつける。
「じゃあ、もう一人前お茶わん[#「わん」に傍点]がいるよ」
 私の熱心な拍子木に迎えられ、遠い家から晩さん[#「さん」に傍点]に来るのは、たれだろう? 親切な読者たちは、それがまあひどく馬鹿でもなく、見っともなくもない一人の青年か、壮年か、兎に角マスキュリン・ジェンダで話さるべき客と想像されはしまいか? それは幾分ロマンティックだ。まして、彼が私の崇拝者ででもあるというなら。あの辺の自然はおう[#「おう」に傍点]揚で規模の壮大な野放しの美に充ちているから、その位のありふれたロマンスでもきっとそうこせこせ極りわるい思いをさせずに存在させたでしょう。しかし、何という私はおばあ[#「ばあ」に傍点]さんに縁の深い人間だろう、私の拍子木に答えて来るのは、おばあ[#「ばあ」に傍点]さんだ。しかも八十二になる。――
 夕方、私は八十四で少しぼけ始めた祖母と、八十二で、貧しく村のうわさ話し伝達掛のそのばあさんと小娘と四人で晩飯をたべていた。もう仕舞い頃、電燈の光がよく届かない台所から、
「お晩になりました」
と、耳なれた女の声がした。
「だあれ? おみささん? お上りなさい」
「さあ、お前もおいで」
 ことこと音がし、おみささんが現われた
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