。十一ばかりの末の娘をつれて。おみささんは、大きい四角なかさばった風呂敷包みを小脇にかかえ、眼のすわらないそわそわした顔付きであった。
「さあ、もう何もこわえことないわ」
「何なの、どうかしたの」
「御あいさつもしないで――隣の家でえらいけんかが始りましてね」
「吉太郎げでかえ?」
「そうよしか、お前、とても一通りのこってねえの」
「たれか来てけ?」
「いんや夫婦よ、あのおきみっ子と吉太郎がお前、吉太郎はおきみっ子を殺すって出刃磨いでんだもの、おらあもうおっかなくておっかなくて家にいたたまれないから逃げて来たのよ」
「何だべまあ、そげえな」
「朝っぱらから口争いはしていたのよ、おれも聞いていたから、すると、いきなりさっきおきみっ子が逃げて来て、吉さが殺すからかくまってくれっていうじゃないか、おれあなじょにしようと思ってね、本当に。追かけて来てこっちまで斬られたりしたならつまんねえと思って、こっそり裏から河崎屋んげさ逃してやってすぐこっちに上ったんだけんど……おらほんにやんだわ」
 血相をかえて話すので、私はぞうっとし、すっかり家中明け放した庭の暗が気味わるく成って来た。私はけんかは嫌いだ。切ったはったは何より嫌いだ。実際今夜人殺しがあるというのだろうか。
 私は、落ついたような調子で、少し笑いさえ浮べていった。
「――騒ぎばかりひどいのじゃあないの?」
「私も、おきみッ子が逃げて来てそういった時は、まさかと思いましたが、この子があなたそうっとのぞいて来て、母ちゃん、おっかねえ、本当に出刃磨いててよっていうもんだで、窓の外へ廻って見ると、ほんによ、暗い流しであっち向いてせっせ磨いでるだもん、おれ足がすくむようだてば……」
「女房は殺すかも知れないが、他人のあなたをどうするということはないでしょう?」
「それがね、あの河崎屋のじいさま、ほんにいやなおやじだよ、けさ吉さに、もうけんかはやめたらよかッぺ、隣の安田でも馬鹿だちゅうて笑ってるなんぞといいましたんだって。とんだ恨でも買ったらなじょにしてくれるんだか。――今晩だけお邪魔でもとめて下されますまいか」
 四十を越した、神経質な寡婦《ごけ》が、子供をつれ、大切なものまで抱えておびえてあがるのに対して、私は、それは私もこわい、かかり合のかかり合になるのは迷惑だといえるだろうか。私は、男きれのない生活を始めて不安に感じた。し
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