巻に顎をうずめ、袂をかき合せている。
「エー、お待たせしました。……エー、二十八番、二十八番は六号へ。六号。エーそれから三十番」
 その声につれて思想関係らしい四十ばかりの細君風の女が、薄べりを敷いた床几《しょうぎ》から立ち上り、ショールへ片手をかけ、黒いラッパを頼りなげに下から振り仰いだ。
「エー、三十番――あなたの面会しようとする人は他の刑務所に送られました」
 ザザ鳴る雑音に遮られ、他の刑務所というのが、サの刑務所と云われたようにひろ子の耳にも聞えた。おとなしい細君風の女は、思わず一足のり出して、
「え?」
と、黒い拡声機に向って女らしく首をかしげてききかえした。が、スイッチはそれきりプツと音を立てて切れ、その女のひとは何とも云えない、困惑の身ぶりで、恰度《ちょうど》旧劇の女形が途方にくれたときのしぐさにやるあのとおりの片足をひいた裾さばきでひろ子の方を見た。
 ひろ子は同情に堪えない気がした。
「どこかよその刑務所へいらしたっていうらしかったわ。事務所へ行ってきいて御覧なさい、あすこから入っていらしって」
 ペンキで塗られた二階建の玄関口を指さした。
 一時間以上待って、ひろ子
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