ろを見ると、羽目板のはずれたのを、片ぺら泥だらけのまんまひきずって来た。それを、ブランコの切れた繩の下まで引っぱって行き、繩へくくりつけた、つまりブランコらしいものにしようとしているのだが、繩は太いし、板は薄くて幅がひろいし、霜やけの出来た小さい二郎の手にはしまつがつかない。ぎごちない恰好で膝までつかって何とかしようと、板を落しても落しても、二郎は声も出さず力みこんで骨を折っている。家でも、託児所でも、玩具らしい玩具を持たない二郎の努力がそこにあるのであった。ひろ子はそれをただ見下してはいられない心持になって来た。タミノはどうしたのだろう。そう思いながら下りて来て、ひろ子はおやと思った。臼井がいつの間にか来ている。そしてあっち向きに、タミノと向いあって柱によりかかっていた。ひろ子の跫音で、タミノが顔をあげると、臼井はこっちは振りかえらないまま、いそがず、しかし十分ひろ子を意識した素ぶりで何か前にあったものを畳んで紺絣の内懐へしまった。
ひろ子は二人のいる四畳半の方へ行こうとしたのをやめた。そしてありあわせの下駄をはいて外へ出た。
五
夜みんな子供をかえして静かになると、タミノとひろ子とは、工夫してなるたけ人目をひくように、字の大小、ふちどりなどに心を配りながら、大きいのや小さい四角い伝単形《でんたんがた》やらのガリ版をきった。
託児所の経済は、市電応援以来非常にわるくなった。ひろ子らは、これまでのように、定って毎日来る子供ばかりを預るだけでなく、急用で出かける母親にも便宜なように、どんな臨時でもおやつ代だけで預ること、そして託児所の仕事をもっと大衆化することを決定した。同時に従来も労救とは別に託児所としての維持員を一般の進歩的な家庭の婦人の間に持っていた、その方面も拡大しよう。原紙を切っても、手許に謄写版がなかった。診療所まで出かけて行って刷らなければならなかった。翌日タミノが、例によってスカートに下駄ばきで出かけようとしているところへ、臼井がやって来て、
「どれ?」
タミノの手から原紙の円く捲いたのをうけとって見て、かえし、
「あっち、多分今つかっているでしょう」
各部署の活動に通暁したように云ったりした。
「あら! やんなっちゃうね。よって来たの?」
臼井はそれには答えず、
「そんなものくらいだったら、僕の知っているところのでやれると思うんだが――」
「なーんだ、そんなことがあるんなら早くそう云ってくれればいいのに! そこへ行こう、ね、いいんでしょう?」
「今夜あたりは、大抵いいだろうと思うんだが……」
正直で単純なタミノに向う臼井のそういう話しぶりや、ひろ子がこの間二階から何心なく降りて来て目にした臼井の凄《すご》んだような態度などには何かわざとらしいものが流れているのであった。臼井と二人で出かけて行って、タミノは謄写版刷りの仕事もちゃんとして来たが、その四五日あとになって、ふと何かのはずみで云った。
「ポートラップって、私、洋酒だとばっかり思ってたら――ちがうんだね」
或る晩のことであった。タミノが電燈を低く下げて靴下の穴つくろいをしながら、
「私、いまにここかわるようになるかもしれない」
独言のように云った。それは風のひどい晩で、ひろ子も同じ電燈の下へ机を出して会計簿を調べていた。顔もあげず数字をかきつづけながら、ひろ子はごく自然な気持で、
「ふーん」
とタミノの言葉をうけた。
「どこか、うまいところがありそうなの?」
タミノは三月ばかり前、山電気を組合関係で馘首になるまで、ずっと工場生活をして来ていた。組合の書記局へおいでよって云われたけど、私、職場の方が好きだ。また入りこむよ、そう云って、一時ここを手伝っているのであった。
下を向いて、こんぐらかった糸を不器用に、若々しい粗暴さで引っぱりながらタミノは、
「まだはっきりしないんだけどね」
間をおいて、
「臼井さん、待ってたのがやっとついたって、とてもよろこんでる……」
ひろ子は思わず首を擡げ、下を向いているタミノを見ながら、ペンをもっていない方の指で自分の下唇をゆるゆると捩るような手つきをした。タミノはやっぱり顔をつくろいものの上にうつむけたままでいる。
「――つくって……」
様々のありふれた推測が、ひろ子の胸に浮んだ。いずれにせよ、臼井と党の組織との連絡がついた、ということにはちがいない。
「だって、そのことと、あんたが、ここからかわるってこととは、別なんでしょう?」
タミノは直接それには返事をせず、自分自身の考えに半分とりこまれているような調子で、暫く経って呟いた。
「なかなか役に立つ女が少なくて、みんな困ってるらしいわねえ」
その言葉でひろ子には全部を語らないタミノの考えの道筋が、まざまざ照らし出されたよ
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