売会に誘って行った同じ長屋の神さんから、二十銭足らずあつめただけであった。
ひろ子は、自分たちの託児所でのそういう経験を、数ヵ月前から持たれるようになっていたフラクションの会合で話した。その日は亀戸での話もされた。亀戸では応援活動のために特別な父母の会が催された。そして、特別に若い人が来て、それぞれの職場はちがっても、労働者であるということから共通に守られなければならない労働者としての連帯ということについて熱心に説明した。親たちは、はじめから終りまで傾聴し、その場で相当な額の基金が集った。ところが程なく意外な結果があらわれた。一人、二人と子供が減りはじめ到頭長屋から五人の子がその託児所へ来なくなった。
「何から何まで一どきに話しすぎたのがわるかったんです」
睫毛の長いそこの保姆が全体的な批判として云った。
「やっとききだしたところによるとこうなんです。話があんまり尤もで、もし争議へまきこまれたらとても断りきれない。もしそうなったら自分のクビが心配だから、今のうちに子供をひっこめちゃおうということになったらしいんです」
「なるほどね」
大谷は、一度ふーんと呻《うな》って、笑った。
「話が尤もでことわり切れまい、か。ふーん。それで、何かね、もうそれっきり本当に子供はよこさないんだろうか」
「ええ。今のところ来ないんです」
蛇窪でも、沢崎キンが警察へつれてゆかれてから、二人、三人、子供をよこさなくなった親たちがあった。一人は井上製鞣へ出ていた。そのおかみさんの云い分はこうであった。
「そりゃこんな暮しをしていたって、つき合いってものはありますからね、たまにゃちょいとしたうちへだって行かなけりゃなんないやね。そんな時、行坊をつれてくってと、お前さん、人前ってものもあるのにあの子ったら大きな声して『おっかちゃん、ここんちブルジョアだね、だからてきだね』って、こう来るんだからね。あたしゃまったく、赤面しちゃうのさ」
そんな話のあったのも近頃のことではなかった。ここが、あっちこっちにあった無産者託児所として、統一された活動に入ったばかりの頃、現れた偏向なのであった。
赤坊のぐずつく声をききつけてひろ子が二階へあがって行った。
お花さんのちい坊が、十ヵ月近くたつのに一向発育のよくない小さい顔をしかめて、寝苦しそうに半泣きの声をしぼって頭をふっている。ひろ子はおしめを代えた。消化不良の便が出ていた。母乳のほかに山羊の乳をのませろと医者に言われて、お花さんは自分の稼ぎのつづく日にはそれを飲まし、ここへあずけて「よいとまけ」に出ているのであった。
タア坊のおしめを代えてやっていると、窓の下で、
「いいかい、ここ、あたい達のコーバ!」
甲高い、勝気そうな袖子の声がした。ひろ子がちい坊の寝台を二階の手すり間ぢかまで引っぱり出して日光浴をさせながら見下していると、入口の前の空地の隅に、こわれたブランコがある、その切れた繩の先を握って袖子が何かを手繰《たぐ》るような手つきでそれをふっている。二郎が、茶の毛糸と青毛糸とをいかにも間に合わせに継いで寸法をのばしたジャケツを着、ゴム長をふんばって、わきからそれを眺めている。
やや暫く二郎はそうやって眺め、袖子は、目をつっつきそうに伸びすぎて剽悍《ひょうかん》に見える黒いオカッパの下から、時々真面目くさった視線で二郎の方を見ながら、運動をつづけているのであったが、やがて二郎が、ぶっきら棒に、
「ヤーイ、名なしの工場なんて、ないや」
と云った。袖子は睨むように二郎を見た。そして思案していたが、やがて動かしている手はとめず、
「――ブランコ工場だヨ!」
イーというように返事している。
見下していたひろ子は、声は立てずに大きな口をあけて笑った。
「ここ、キカイだよ!」
矢張り生真面目な顔で、袖子は、ブランコの柱のひびわれた木目を、あいている左手の指先で押しつけるようにして二郎に示している。
今度は二郎が黙って袖子と並んで立った。そして自分でも、もう一本の切れた繩の端を握り、袖子よりもずっと荒ぽく、調子をつけて振っている。振っていると思うと、二郎はいかにも男の児らしい敏捷さで、ひょいとゆれているその繩の先へぶら下って、脚をちぢこめた。止りそうになるとゴム長で地べたを蹴り、またぶらん、ぶらん振り直す。盲滅法に地べたを蹴ろうとする二郎の足は、やっと地べたに届いたり、そうかと思うとたった二分ぐらいのところで宙を掠《かす》めてしまったり。――
ひろ子は、いつかつりこまれ、さながら二郎の背中を押してでもやっているように、調子をあわせ無意識のうちに自分まで顎を動かした。
袖子は、繩を持ちかえたが、そのまま目を凝して二郎のやることを観察している。
それに飽きると二郎は暫くどこへか姿をかくし、出て来たとこ
前へ
次へ
全15ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング