説明した。
「きのう、慶大裏で飛びこみ自殺をした大江さんはほんとにお気の毒だったと思います。新聞は日頃呑んだくれだったと書きましたけれど、広尾の人からじかにきいた話はちがいます。大江さんのお神さんが病身だものでどうしても欠勤が多く、それを首キリの口実にされたからああいうことになったんだそうです。私たちがもっと強くて、病院でも持っていたら、大江さんは病身のおかみさんのためにクビにはならずにすんだのにと思います。自殺しなくてもよかったと思うと、残念です」
「異議なし!」
「そうだ!」
つよい拍手が起った。ひろ子は自分ではまるで気づかない集注した美しい表情で顔を燃し、
「どうぞ、皆さん、がんばって下さい」
と云った。
「私たちは及ばずながら出来るだけのおてつだいの準備をしています。それが無にならないように、どうぞしっかりやって下さい!」
さっきのような彌次気分のない、誠意ある拍手が長く響いた。
「――では続いて報告にうつります」
皆に要求されて、支部長の山岸が片手をズボンのポケットに入れた演説口調で、
「不肖私は、この際支部長の責を諸君と共に荷《にな》っております以上は、あくまで闘争の第一線に殪《たお》れる決意をもつ者であることを声明します。ついては、即刻闘争の具体的方法について忌憚《きたん》ない大衆的討論にうつりたいと思います」
そう云ったころから、場内は目に見えて緊張して来た。
「支部長の提案に、質問意見があったら出して下さい」
「…………」
「議長!」
この時、ひろ子の坐っている壁ぎわの場所からは斜向いに当るところで、一人の若い従業員が肱を突きのばすような工合に手を挙げた。
「第三班の決議を発表したいと思います」
「やって下さい」
「われわれ第三班は、今朝改めて班会を持ち、要求は当然拒絶されるであろうという見とおしに立って、即刻ストを決議し、闘争委員を選出しました」
「…………」
微妙なざわめきが場内にひろがりはじめた。百二十七名の馘首反対を絶対に妥協しないこと。要求がきかれなければストライキ準備に入れという指令は本部から既に数日前発せられているのだ。山岸は力のつよい小波のように動きはじめた雰囲気を強いて無視し、わざとらしく燻《けむ》たそうに眉根を顰《しか》めて丸っこい手ですったマッチから煙草に火をつけている。
「ちょいと……そのウ、質問なんだが――」
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