に、改造社は『短歌研究』、『俳句研究』で、研究社の『英語研究』と同じ類別のなかにくまれていたと書かれていたように記憶する。そして、岩波の『文学』、『教育』、『哲学』が、博文館の将棋の友とかいう娯楽の雑誌と同じ類別にくまれて投票されていたとおぼえる。
「研究」という内容は様々で、中学生の英語の研究と、斎藤茂吉氏の柿本人麿の研究とはおのずから異っているのが現実である。少くとも東亜の指導力たる日本は、その程度の文明の奥ゆきというか、厚みというかは蓄積されて来ている。
 文学はなるほど人の心を慰めるものであり将棋も名人となれば一つの精神の王国をもっているであろう。だが、名人にとって将棋は娯楽の範囲にとどまって考えられてはいないだろうし、文学は、国の光として英訳して海外に誇るべきものの一つとして考えられ扱われている。源氏物語がその一例だが、将棋の友とそれとの間に、常識は別種のものを感じ理解している。
 きょうの新聞は、内閣情報部で第二回準備委員会をひらき、具体案は民間六人、官庁三人の小委員会の協議にゆだねられることになったと報じている。
 先頃朝日に出された記事は、現代の読書するかぎりの日本人の
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