「斜陽」的死を選んだこと。そして、日本民族の運命を破滅させた戦争によって財を蓄え、社会的地位をのしあげた新興階級――漱石はこういう社会層を成金とよんだ――の子弟達が、人間となった天皇の子息とひとつ学校に入れるという親の感激によって、入学して来ているということ。学習院の運営は宮内省からきりはなされ、自主的にされなければならなくなっていること。これらすべての今日の現実を、漱石に理解させることができたとして、彼はどういうテーマで講演するだろう。
 やっぱり漱石は、権力・金力に対して毅然たるべき人間性について語るだろうと信じる。三十数年昔の十一月のある日の彼が語ったよりも、更に深い日本への愛と情熱とをもって、日本のヒューマニティーの尊厳と日本の理性の確立のために語ったであろうと信じる。なぜなら、ここにこまごまとのべるまでもなく、こんにち日本の特権階級は、日本の民族の歴史のいつの時にもなかった実情で、悲劇の場に据えられているのだから。日本の悲劇の粉飾として存在するという事情について、新しい人間性にめざめつつある青春は多くのことを考えずにはいられなくされているのである。
 社会一般の経済困難、戦争
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