した有島武郎の一生について、わたくし達は、日本の社会史の一節として消すことの出来ない感銘をうけている。
ところで、このごろの学習院へ漱石をつれて来たら、彼は何について、どんな話をしただろう。まず第一に昔友達の安倍能成氏が院長をやっていることを彼流に大笑いしたにちがいない。どうだい、オイケンの翻訳と、どっちがおもしろいかい、と云って。それから、いまでもやっぱり目黒の秋刀魚かい、と云いはしなかったろうか。これは学習院の学生達のみち足りた境遇では、知識欲も、珍しさの味――落語にある「目黒の秋刀魚」に類するものか、と、三十数年前の講演で彼が語った、そのことである。
この質問に対して明快に返答することは、こんにちの学習院の先生にとっても生徒にとっても、おそらく非常に困難なのではあるまいか。「目黒の秋刀魚」と云った漱石の諷刺は、物質と精神の安定を基盤としている境遇の人々に対して成立した、庶民の諷刺である。こんにち、かつての上流が大部分斜陽族という異様な名称によって経済と精神の本質を語られるものとなっていること。その「斜陽」という小説を書いた太宰治という文学者は、有島武郎とも芥川龍之介ともちがう
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