反撥した人々をもち、今日では、本質の異った社会連帯によって女の性を保護することが客間のエティケット以上の重要事であることを理解し、その実現に努力しているソヴェトのような実例が出現して来ている。他の一方には、しきたりはしきたりとして、他に愛人をもっている妻が毒々しい恨を心臓にかくしながら、これ又自分を裏切っている良人に腕を扶けられつつ、音楽の裡に入って行くような光景がくりかえされている。
 日本の女がヨーロッパ風のエティケットに何か新鮮なものを感じたり、外国の男にわけもなくひきつけられたりするところは、とりもなおさずヨーロッパの常套性《マンネリズム》がまだおくれて東洋に感情の市場をもっているということになるのである。
 そのように観て来て、私は日本の一般の若い女が、いつ、欧風エティケットの表面性を破っての男の節度の美、献身の美を理解し、それを求め、それらが生れるに可能な社会の条件をこしらえてゆくために努力しなければならないのはつまりは女自身であることを知るであろうと、遙かな暁空を眺めるような心持になるのである。
 いつの時代にも、或る種のかしこさを持った女は、社会を支配している多数者であ
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