妻、母の、つながれた女の昔ながらの傷心が物を云っているところにある。女の過ちの実に多くが、感情の飢餓から生じている。その点にふれて見れば、女の悲しみに国境なしとさえいえる有様である。

 近頃、『新青年』『婦人画報』その他沢山の雑誌が、男のエティケットについて書くことが流行している。そして、実際に、或る種の若い男のひとびとのいつしか身につけている自然な物馴れは、社交性のいやみと違った一つの新時代の社会性として現れて来ている。
 私は、ひそかにこの男の、エティケットについて、或る意味での既成社交的への馴致《じゅんち》の傾向について、少なからず歴史的興味を抱いて観察している者の一人である。何故なら大戦の経験後、今日の、ブルジョア・ヨーロッパの文化は、女に対する男の騎士道の礼儀を単に一つの、それが単なるしきたり[#「しきたり」に傍点]であると男女相互の間に十分理解されつくしているところのしきたり[#「しきたり」に傍点]としての形骸をとどめているに過ぎないのであるから。ヨーロッパ文化は、一方で、トルストイやストリンドベリーのように、そういう甘たるい客間のしきたり[#「しきたり」に傍点]に頑固に
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