る男の立場に身をよせて物を云うならわしである。ものわかりよいということ、男心を理解しているということ、そのことがその女へ男の興味を呼びむかえる。率直に云って、今の日本の無差別な復古調は、女の中から女を或る意味で行燈のかげへ呼びもどす傾向をかもし出していると思う。昔ドイツのカイゼルが三つのKと云った言葉はヒットラーの代になって子持の母への賞金とか独身税とかになって現れている。日本では良妻賢母という言葉によっては既に新しい刺戟を与えられないが、服飾や愛の技巧の研究に女が公然と物を云うようになると同時に、そういう趣味的な面を通じて、案外な程度に、復古へ誘いこまれ、性的な交渉では女が受身という点が粉飾的に強調されている。日本が、本当の自由主義時代を持たず、しかも急調に今日に至っていることに思い及べば、今日の或る種の女の中にあるこのようなポーズがどういう性質の歴史的混合物であるかは自ら明瞭ではないだろうか。
パラマウントが日本へ来て撮影して行った日本紹介の天然色映画を、偶然の機会で見ることが出来た。こんなに桜が見事なところが日本にもあったのであろうかと、私はおどろいた。普通の東京住いの市民な
前へ
次へ
全11ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング