日記・書簡
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)仮令《たとい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]
−−

 一九二〇年三月二十二日[#「一九二〇年三月二十二日」は太字]
 郡山は市に成ろうとして居る。桑野は当然その一部として併合されるべきものである。村の古老は、一種の郷土的愛から、その自治権を失うことを惜しみ、或者は村会議員として与えられて居た名誉職を手放す事をなげく。
 然し郡山の町民は或優越を感じて居るらしい。今日来た郡山の新聞記者は、明にその傾向を語ると共に、そう云う一つの変動が起った場合に余波を受けて起る箇人的野心、或は、人間の本能的功名心を示して居る。
 彼は、政治記者である。
 彼の云うところによると、市に大字桑野として編入されることは、朝鮮と同様、市の多勢に実権を握られて居る以上已を得ないことでありましょう。然し、已を得ないと云うような言葉はつまり、弱者の云うことで――実際、此のサクバクたる農村が、郡山と同様の地租その他を負担させられると云うのは可哀そうなことです。
「でも、地価や何かがあがるから少しは今とは違うでしょう。
「いやそうです。然しですな地価が上ったからと云って、農民には直接収入の増加とはなりません。従って、実力以上の負担を負うのは気の毒ながら何とかして町との均衡を保つために一つ私の考える事、持論があります。
 ちっと話が大きくなりますが」――彼は大鉢の縁で煙草の灰を叩き落した。
「つまり此の大神宮を昇格させようとする事なのです。そもそもの始りがです、維新の始、賊軍として、長い間反目されて居た此の東北地方に、尊王奉国の中心として大神宮を建てたらよろしかろうと云う有難い大御心から、わざわざ伊勢大廟の分祠として祭られたものなのですな、それを斯のように荒廃にまかせて置いてよいものなのかどうか――と斯う考えました。それで町の有志ともはかって、十万円ばかりの余算[#「余算」に「ママ」の注記]で、内苑外苑からすっかり改築して、伊勢まで行かれない人々は、此処へ来て、お参〔以下欠〕

 四月二十七日[#「四月二十七日」は太字]
 今日大学の大通りを散歩して、計らずも、久しい
次へ
全9ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング