生活は死に等し
格言として書かれて居、世間の人達は格言と見、云ったその人自身も名言だと思ったんだろう。
けれ共私にはこの言葉に対する不平がある。
死と云うものは不義の生活に比べられ、等しいと思われるほど注意のあさいものではない。
最も高尚な高潔な生活の極点が死である事は「すべての欲望の極の欲望は死である」と云ったトルストイの言葉でもわかるのだ。
七月八日(水曜)
大変朝早くこの頃は学校に行く。
重いさびた色の煉瓦の建物の下の石に腰をかけてトルストイの或る作を読む。うす明るいもやがかこんで居る。まだつゆのある短かい草の根元や大きな礎の石の間にささやかな虫のつぶやきの声がする。
嬉しい寂寞《じゃくまく》の裡に私の心は清んだのである。
夜も美くしい声の虫が一匹、草の間でないて居る。
さしぐまれる様な気持になった。
七月十七日(金曜)
細井さんの小わきで墓穴をほって居る男の群達を見た。美くしかった娘の腕も健に育ちかけた青年の頭蓋も出されるんだろう。がいこつの目の玉のあとから飛び出すふしぎな霊がその男達のぼろぼろの裾にまつわりつく。
熱が出て寒気がした。墓穴の連想が私を苦しめる。
七月十八日(土曜)
又先に病ったと同じ様な調子に私の体の工合が悪くなって来た。
熱が八度二分。
細井さんに行く。先ず熱が癖になって出るんだろうと云う事だった。薬をもらって帰る。
七月二十日(月曜)
今日で一学期もお終になる。
どんづまりの日まで出ていざとなって顔を見せない私を例の人は変に思うだろう。
皆がうの目たかの目で居る点も見ないで平気で居る私をさぞ暢気者とかなまけ者とも思うだろう。
私の点は例の人達がつけきれないだけ沢山もって居るんだ。
熱はまだかなりある。
七月二十二日(水曜)
今朝はきのう熱がなかったので六時頃床を出る。
二三日ほっぽり出して置いた間に部屋の本箱はすっかりごみだらけになって居るし何だか持主が居ないと斯うもなるのかと思われるほど汚なかった。
すっかり掃除をして久し振で二十枚ほど書く。
平気で居たら午後に大変熱が上って居た。
又床にもどる。
少々ぶり返しの気味だ。
八月八日(土曜)
今月の四日に漸《ようや》く平熱になった。
四十度五分の熱が二十八日に出て前後三四日ずつ四十度以上の熱が出て人事不省になったんだそうだ。
水枕で先にふとんが濡れたので気にしてフトンフトンと早口に云って居たと云った。
八月九日(日曜)
読む事と書く事を禁じられた。
それを私は少しの辛棒だと思って苦しいながら堪えて居る。
丈夫になりたいばっかりなんだ。
達者な時には死ぬ事なんか何でもない様に云って居るけれど、いざとなると驚くほど「生」と云うものが尊く思われる。その大きな力にひきずられて私はがまんして居るのだ。
八月十日(月曜)
病気をして物を考える。
又さとりを開くとか云うのはたいてい少しはひまのある病気――って云うのも可笑しいけれどもほんとうに少しはひまのある病気でなければ出来ない事だと思う。
私みたいに汗をだくだくながしては寒気がして熱が出る。それをくり返しくり返しして居る様では自分が生きてるか死んでるかさえたしかめられないほどだ。考えるなんて云う事はまるで頭に無い。
八月十一日(火曜)
土が白くポカポカ浮いて居る。
雨が降るといい。
斯うやって家に病上りで居ると一日毎に目の前に変った景色を見たい。
草木が死んだ様な色をして居る。
村々では雨乞をして居るんだろう。
水の争を田の傍でして居るんだろう。
東京の中央では水に使方を少し丁寧にするだけで夕方はザアザア湯があびられる。
八月十二日(水曜)
気をつけて水をやり虫を取って居るベゴニアの葉を皆鶏が食べて仕舞った。
鶏はさぞ美味しかったろう。
人間にもそんな事をするものが居る。
私のあの大切なペン軸が見つからなくなってしまった。鼻のうすっぺらな髪をデコデコ結ったすれ切った女がたまらなく憎い。
八月十四日(金曜)
夜うすき先生が来て「汗も」をつぶしてもらう。
みっともなくブツブツになった額にアルコールのしみこんだ気持はたまらなくよかったけれどいやに瓦斯の光線で輝くメスや変にトンがったものを見たら体中が一度につめたくなる様だった。
先の頃始終指なんかをはらしてた頃は左《そう》まででなかったけれど今日は大変こわかった。
自分に無関係な時それを見て居るといろいろな興味が湧くものだけれども――。
八月十七日(月曜)
お敬ちゃんが来る。朝早くから夕方まで居て行く。
坂本さんへ手紙を書く。
もう少し考えた手紙を書いてわかって呉れる友達が慾しい様だ。
八月十八日(火曜)
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