西村の祖父[#西村茂樹、母方の祖父、倫理学者]の御法事があった。
お月様のと鈴虫の短っかい詩の様なものを書いた。
国男が明日安積へ行く。
イギリスの石橋さんから絵がとどく。
midnight と云うのが気に入った、呉れるんならすぐ手の出したいほど。
今日来た外国雑誌の糊がくさくていやな香を放して居た。
鉛筆だのナイフなんか入れる袋を作る。
始終腰にさげて居たいものだ。
八月十九日(水曜)
久米氏の「牛乳屋の兄弟」が来月の十七日から四日間上場されると云う事だ。行って見たい気もする。
けれ共雑誌に出て居るのを見ただけではそう私のすくものでは有りそうもない。お敬ちゃんが来る。
二枚絵を持って来て見せた。一枚は私に呉れるんだそうだ。色と眼と模様が気に入った。
八月二十日(木曜)
午後から大沢に行く。先月の十八日以来初めて外出したので田舎から帰って来た時の様な気持がした。
電車がこわい様な気がした。
妙なものだ。
夜神楽坂に行く。アセチリン瓦斯の臭い下の露店と男に会う毎にさわぐ芸者共が真面にお化粧して下《げ》すに歩くのにも石の上で三味を弾く袖乞の指先にも活きて動く世の中がひらめいて居る。
八月二十一日(金曜)
午前中に帰る。赤い太陽に頭の上からテリつけられてに出す様な汗をふこうともしないで私は本を抱えて歩いた。
熱が出た七度四分。
下痢、腹痛。
明日又早く床を出られるか何《どう》かは?
八月二十二日(土曜)
朝少し無理でも起きて仕舞う。別にこれぞと云って気分の悪い事もない。
坂本さんへ手紙を書く。
誰か来て呉れれば好いなどと思う。
四十日の間何もしないで寝て暮したと思うと馬鹿馬鹿しいにもほうずがあると思う。
田舎にでも行ったりそろそろと始めて冷っこい夜が来る様になったら目覚しい武者振を見せなければならない、古橋さんから百年立っても枯れない花を貰う。
八月二十三日(日曜)
独逸《ドイツ》に向って宣戦詔勅が発せられた。
何となく亢奮した気持になる。争われないものだ。
神棚に御燈明をあげる、美くしい。
午後から工合が悪くて床に入った。二時間ほど眠ったので夜辛い目に会った。
蚤がたまらなくせめる。
夜に入って雨が降りだす。
「水の出る雨だ」こんな事を云って居た。
本を読む事を止められた。情なかった。
八月三十日(日曜)
大瀧に行く。
夜大瀧の帰途に東京堂による。『子の見たる父トルストイ』、『思い出』、『ざんげ』、『ホーマー物語』を買う。旅行に持って行くつもりだ。
なろう事なら一日頃には行きたいと思う。
九月二日(水曜)
安積へ出かけた。
道ちゃんがなかなか来なかったんで待ち遠い様なせかせかしたいやな気持になった。
ドンタクをかしてもらう。
出水のあとの家がたおれたり畑が水びたりになって居るのを破られた鉄橋の上から見る。恐しい。
目がうるむ様な気がする。
夏の三等の旅はうんざりする。
九月十日(木曜)
夜東京から華子の病気が大変悪いと云う電報が来た。祖母様は止めるけれど明日の一番で立とう。いそがしく着物をまとめたりカバンをつめたりする。
軽い不安が絶えず身をおそう。
死ぬだろうとか何とか云う事は今思われない。
斯う云う経験のない私はやたらにあわてる。
気がせかせかして何にも手につかない。
九月十一日[#「九月十一日」は罫囲み](金曜)雨
しとしとと秋の小雨のする中に
逝きし我妹の
幼き御霊よ
紅友禅の衣かなしや
被はれし身の冷かなれば……
事々に無く遺されし姉の心――。
失ひし宝もどさんすべもがな
かへがたき宝失へる哀れなる我心
九月十三日[#「九月十三日」は罫囲み](日曜)雨
雨の中を行く。
青山の杉の根本の
永《とこ》しへの臥床へ――。
九月二十三日(水曜)
「悲しめる心」を書きあげる。
十二月一日(火曜)
病みてあれば
又病みてあればらちなくも
冬の日差しの悲しまれける
着ぶくれて見にくき姿うつしみて
わびしき思ひ鏡の面
今の心語りつたへんとももがなと
空しき宙に姿絵をかく
ステンドクラッスの紫よ緋よ、鳶色よ
病なき国抱けるが如
十二月二日(水曜)
せわしい時は日記をつける余裕がない。それは実際のことだ。この頃の様に又病気でもすればひまつぶしに書く気になる。
関先生に和歌を見てもらおうかとも思って居る。永くつき合って居たい先生だ。
なるたけそう仕様。
きっと快くうけ合ってくれるに違いない。
底本:「宮本百合子全集 第二十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年5月
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