けてピヤノ、西洋ローソクを二本ともした。うすい水色のカベ紙にはえて居る人達まで美しくなった。せかせかした心持で私はそこに落ついて居る事が出来なかった。夜の更けてから弟のそばに、ついておきて居たら黒い大きな猫が迷い込んでかやのすそに首を入れようとしながら「キャーゴー、ブーブー」とうなった。
 私はうなされてとびおきた時のようにかやん中から手をのばしてやたらにリンをならしてようやっとおっぱらってもらった。
 まだそこいらに丸くなって居るんじゃあないかと思われて、蚊帳を出る事が出来ず髪もとかさないでそのまんまねる仕度をしてしまった。
 夕方からすっかり落ついた母はかおの色もふだんの通りになってしまった、少しは安心したけれども
「毎月、月に一度はかなくっちゃあ気がすまないもんと見えるネー」と云ったのを思い出して、又来月来るいやな、こわらしい事を思い出してたまらなくいやになってしまった。床のまわりにそんな事は忘れてしまいますようにと云うようにやたらに体をうごかしてノミトリをまいて、弟達の夜着をかけて、とうとう一日これで一日すぎてしまった。
 本もよめず、書けもせず、勉強もせず、只まるで女中と同じように何をかんがえるでもなく体ばっかりをうごかして暮してしまった今日一日って云うものがいかにも馬鹿らしいような気がした。
 本のよめなかった事、一番つらい事であったと枕にあたまをつけながらも思った。

 七月二十七日
「早く目を覚して御迎に行かれたら行こう」と思ってねたゆうべの腹案を意志の悪い寝むい虫がこわしてしまって御念の入った寝坊をしてしまった。髪をなでつける間もなく御父さまが上野じゃなくて玄関について御しまいになった。御土産は天津桃に羊かんにのし梅、安積にはよっていらっしゃらなかったらしい。今度はだまって居たからいいようなものの気をきかせたつもりで御手紙なんかあげて置いて若し用の都合でよっていらっしゃる時間のない時なんかは御祖母さまと御父様と両方から御こごとを頂戴しなくってはならなかったから…………
 病人は二人とも(母も入れて)いいのできのうの分もまぜて今日は勉強するつもりで机に向うと御父さまが、トマトーをむけとおっしゃる、それをすましてから「今日は私一寸しなくっちゃあならない事があるんですから道ちゃん[#中條道男、中條家次男]に出来る事はさせて、あんまり私をよばないで下さいまし」
とことわると
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「御前なんか、一日中机にかじりついていたってろくな事は出来るはずがないんだから働いた方がましだ」
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と云われたけれども口惜しいような、一日中机にかじりついてれば立派なことができるように思われたんで机の前にまいもどった。
 数学は今まで毎日して来たから今日は休んで、英語と歴史とをさらう。
力抜山気被世 時不利
 の詩をいつもよりしみじみとくり返してよんで居たら段々声が大きくなってしまったんで
「それこそほんとうのじゃじゃだ」
と云われたんでびっくりしてゆるんだ口元をたてなおすひまもなくつづけざまに笑われたんでやたらどなってしまった、あとで自分も吹き出すほど御かしい。
 それからようやっと落ついてから、こないだのもののつづきを書き「聖書」と「希臘《ギリシャ》神話」を読む。「聖書」なんかは信心しない私なんかには別に有がたいとは感じないけれども「聖書」は一通り知って居なくっては不自由をしますよ、と忠告されたんで先によんだつづきから又よみ始めて居るわけである。
「希臘神話」はいつ見ても面白いものだと思う。本をよみながら一寸首をあげて見るとわきの木ばこの上にのっけてある石膏の娘の半身像のかおが影の工合で妙にいやらしく見えたんで手をのばして後むきにしてしまった。それからインクスタンドの下の方にゴトゴトになってたまって居るのでペンが重くってしようがないんで、気がついたらもう一寸もいやになったんでまだ一寸あったのをすててしまってきれいに水であらって、丸善のあの大きな□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]のびんから小分をしてペンをひたして書いて見ると気持のいいほどかるく動く。
 この勢で何か書こうかと思ったけれども何にも出て来なかったから、いろんな雑誌の中から書ぬきをして御ひる前はすんでしまった。
 御ひるっから二時頃までは何やら彼やらと下らない事を云ってすごしてしまったので大あわてにあわてて墨をすり筆の穂をつくろって徳川時代を書いた古風な雁皮紙《がんぴし》とじたのと風俗史と二年の時の歴史の本と工芸資料をひっぱり出す。
 この徳川時代をひっぱり出したわけは、こないだの夜、父が、ただやたらに本をよみ書きなどして居ても下らないから時代時代を丁寧に親切にしらべて見た方が好いだろうと云われたからその説にしたがって割合にくわしく知って居て今に近い徳川時代から段々と逆にのぼる事にきめたのでひっぱり出したわけである。
 いろんな本からひっぱりぬいちゃあ、書きとりにか□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]か、歴史上の概観だけをすっかり書いてしまう。大体割方は風俗史にならってそれからそれぞれを精しくやって見ようと云う目ろみである。徳川家康が江戸幕府をたてて徳川時代をつくるにほねのおれたように、紙の上に筆とことばでつくりあげるのさえ仲々苦しい事である。
「どうにでもやって見せる」斯う思って仕事にかかったんだからどうしてもやって見たいと思って居る。御ひるっからは、これですっかりつぶれてしまった。夜はソナタと讚美歌のいいのを弾いて見た。

 七月二十八日
 この頃は割合に沢山考えた、事柄に於ては……けれども、自分で満足するように考えの及ぼした事もなければ又自分で少しは実になりそうだと思ったものなんかは一つもありゃしない。それ丈頭を無駄に用《つか》ったわけだと今になって一寸口惜しいけれども又、相当に考える事も必用だからと自分でなぐさめて居る。こないだ書いた「魔女」の原稿は書き出しから気にくわず見るのもいやになったんで、一寸おしかったけれども焼いてしまった。も一度よく考えて書いて見ようと思った。自分の書いたものを火にもやしたのは生れて始めてだった。生れてはじめての事をするほどその原稿は気に入らなかった。けれどもこの次に書く時にはと思ってるからさほど情なくもない。
 学校の事をしようと思って机に向ったけれども例の気まぐれな、出来心で、徳川時代の方を御先にまわしてしまった。参考にと思って国文学史と関根先生の「小説史稿」と雑誌に出て居た江戸文学と江戸史跡をよむ。いるところへはり紙をして別に分けておいた。筆を新らしいのをおろしたら妙にピョンピョンして書けないからかんしゃくをおこして鋏でチョキンとしてしまった。かえって書きよくなった。五枚ほど書いてから墨がかわいてしまったからそれをしおにやめた。それからもう一昔もそれよりも前の「上等記事論説文例」って云うのをよむ。「神功皇后韓ヲ征スル事ヲ論ズ」と云う一寸ばかりの短い論説だか何だか分らないようなのがあって、一番おしまいに道真左遷の事を論ズと云うのがあった。割合に下らないもんだった。それから「約百記」を半分ほどよんだ。□百□[#「□百□」に「(二字不明)」の注記]の信仰の力の強いのにビックリした。
 どんな苦しい事に出会ったにしろ世の中を又は人を恨まず自分のする事だけをまじめにして行くと云うのは基督《キリスト》信徒にかぎらず大切な事だと思った。
 それからいよいよ本式に化学と国語を見た。国語の柴田鳩翁の「道話一則」をよみ次の次の松下禅尼までよんでみた。「東遊記」(橘南谿)のは今度図書館に行った時によんで見ようと思った、兼好法師のがあったんで「徒然草」がよみたくなってしまった。本箱から引ずり出してよみはじめたけれども分らないとこが沢山あるんでノートに書きぬきながらよんで行く、手間ばかりかかる。
 気まかせにこのごろ出た単純生活と前から出て居た原本をひっぱりだこをしてよんで見た。これも赤い条だらけになってしまった。
 一寸何をしていいかわからなかったので、百科大辞典を片っぱしから見て行く、私はよく、一寸手のあいた時に、字引や言海を見るのがすきだけれどもこれもくせの一つとしてあげるべき筈のものだ。
 机が大変よごれたので水色のラシャ紙をきって用うところだけにしき、硯ばこを妹にふみつぶされたから退紅色のところに紫や黄で七草の出て居る千代がみをほそながくきって図学[#「学」に「(ママ)」の注記]紙をはりつけて下に敷いた。
 水色のところにうき出したように見えてきれいだ。
 私はこの上で書くものとつり合った、きれいな気持できれいな字で書かなくっちゃあいけないようなきがした、あしたかあさって図書館にやっていただこうと思う。読む本の番号や何んかをうつして来ておかなくっちゃふつごうだと思ったのでいつでも持って行くノートにそれに都合のいいような条をひいて置いた。はじめの方は丁ねいに、あとから面倒になったんですこしきたなくなってしまったけれども誰が見るもんでもないからと思ってまに合わして置く。
 夕方は何にもする事がなかったもんでもう忘れかけて居るような古いうたをうたったり、「古今集」からすきなうたを書きぬいたりした。夜、御となりで御琴と三味線合奏をはじめられた、楽器の音はうれしかったけれども三味せんのベコベコとうた声の調子ぱずれには少しなさけなかった。

 七月二十九日
 やたらに旅に出て見たい日だった、ただどっか歩きまわって見たくって何にも手につかないほど……
 私は朝めがさめると一緒に旅に出て見たい事と思った。私は坐ってジッとして居ると目の前に広重の絵のような駅の様子や馬方の大福をかじって戻る茶店なんかがひろがって行く。さしあたって行くところもないんだしするから、女の身でやたらに行きたがったってしようがないって云うことは知って居る。けれども、あの草いきれのする草原の中をサヤサヤと云わせながら歩く時の気持や、田舎家によって冷い水をもらう時のうれしさなんかを思うとすぐとんで行きたいようにまでなる。
 なまじ一度、そんなのんきな、さっぱりした男のような旅をした私はその味をしめてなかなか思いきれない。
 私はいきなり母の前に坐って
「母様、どこか旅させて下さいまし」
 まのぬけたような調子で云った。
「またはじまった」
と笑ってとりあってくれない。自分も一緒に笑いながら口のはたが変な工合に引きつれるような気がして私はなき笑をして居た。
 落つかないフラフラした糸のきれたフーセンみたいな気持は御ひる前いっぱいつづいた。私は机にすわっていろんな人の紀行文や名所話なんかをよんで自分が出かけたような気持になって居た。
 御ひるはんの時、「男だったら、どこへだって出られるんだけれども」とこんな事をかんがえながら、夢中でラッキョーの上にのって居たまっかいとうがらしを思いきりよく頬ばってしまった。口の中と目玉はひっくりかえりそうになってくしゃみが出はじめた。
「下らない事をかんがえ込んで居るからさ」
 母はニヤニヤしながら、私のちんころがくしゃみしたようなかおを見て居る。この唐がらしは随分見っともいいかおになったけれども私の頭をはっきりとさして呉れた。もし御ひるにこれがなかったら、私は一日中旅に出たい、と云う病気にとりつかれて居たかも知れない。
 御ひるっからは私の頭が大変しずかになったんで、徳川時代を書く事と「聖書」、「歴史攻究法」、「世界文学史」を読む事は落ついてする事が出来た。もうすっかり旅に出たいなんて云う事は忘れたようになってしまった。
 成井先生のところから暑中の御見舞を下さった。早速御返事を出して置く。まだ手紙を出さなくっちゃあならないところが沢山あるんだのにと思ったけれども気が向かないからやめた。
 古い『新古文林』に出て居る本居宣長先生の「尾花が本」と楽翁コーの「関の秋風」をうつして置く。夜は父から希臘の美術の話をきいた。それから法隆寺模様の特長と桃山時代の美術の特長とを文様集成を見て知った。



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