なかくしだてなんかしずにネ――。
それからだれでもする事をして机の前に坐りました。
宿題をしにネ、……私の机の有[#「有」に「(ママ)」の注記]家かなんか毎日違てるんです、なぜってばその日の風向によっていやにあつい部屋とそんなでない室もあるでしょう、そいだもんでもう小さい時からつかってるきたない机の上にものをのっけたまま抱えて中腰になってそこいら中家中にひっこしひっこししてあるいているんですから、今日なんかもいやにむしむししてもうゆだっちゃいそうなんで、かるい着物に細い帯を兵児帯のようにむすんで、三つ組にしてまるでくわいのような頭っつきをして机をかかえてそこいら中あるきまわった末、とうとう北の四角な板の間に坐っちゃったんです。
それから、鉛筆の先の丸いのにかんしゃくをおこしながら数学と英語と国語を見ました、汗がポロポロ出て来るんで私のせんばいとっきょのような広いでかぶつな額をゴシゴシふきながら。
「夢は勇ましいようでいいけれども、こうあつくっちゃネ――」
私は紙の上に行列をつくってる数学にこんなことを云いました。
英語のリーダーのおしまいに、あのだれでもが知ってる Twinkle, twinkle, little star, How I wander what you are?
って云う口調のいい可愛い詩があったもんで首をふって調子をとりながら赤い可愛いかっこうの本をなでながらうたってました。
そいから古い錦絵のうつしかけを又かきました。胡粉《ごふん》をぬりすぎたんで妙なかおになっちゃったんですの、まるで色のくろい人がデゴデゴに白粉をぬったようにネー、一人で笑ってたんですよ、「まるでそれじゃあせっかくのおひいさまも半分はきりょうがわるくなるってネ」一緒にかかえて来たロビンフード物語りと「花月雙紙」をよみました。「花月雙紙」は少しわからないとこが有るんでノートに書きぬいて置きましたけど、母も又おなかがいたみ出したと云ってきのうから居るんでこのあついにツキつけてきくわけにもいかず、自分がうごくのが一寸面倒だったんで、……ほんとにこんなにあつくっちゃあ、坐ったらもううごくのがいやですものネ――。いくら細い人だってそうだろうと思うんですけーど違うんでしょうか。
だれだっけかが云いましたけど、世の中で熱にあって縮まるものは焼物だけだってネ、三分ノ一ぐらいちぢまってしまうんですって。
私もやきもんじゃあないと見えてまるでうじゃじゃけたようにふくれてるんです。それから頬づえをついて前の庭の様子を□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]はじめたんです。
一番目立ってさいて居る紫陽花は日あたりがつよいんでもう色があせ出して白っぽくなってグンニャリして居るところと云ったらまア、ほんとにいやらしい七面鳥のとさか見たいな気がするもんですネー、柿がそりゃあ落ちるんです、秋になって赤い実の数がへると困ると、おしくって糸でむすびつけて置きたいほどですの、柿が好物なもんでネ。まだ若い青桐は細い枝にもうあきが来たように茶色のカサカサな葉を沢山もって二三枚は地面に落ちてまで居るんですもの、気まぐれにも程が有りますものをネー、まるで夏をちゃかして居るように〜〜。
お昼はぬきにしちまいました、紅茶をのんだっきりで……
午後っからは又元のところで又原稿紙四角をうめたり、本をよんだりして夕御はんになってしまいました。
「百合子さんの本虫さん」ってあなたにひやかされたの思い出しながら御風呂をあびてからあなたんところへ、御たよりをかくときめたんです。
夜はとなりの御嬢さんの白い着物と蚊遣の煙りと私の浴衣の大きな模様と長い袖口から一寸出て居る、ムクムクの手がきれいに見えてました。
このお手紙をかいたのは夜の九時、
私の又と来ない一日は斯うして暮してしまいましたんです、」
[#ここで字下げ終わり]
これだけの日記の先に
随分暑うござんす事、御変りない事は御たより(先月の)で知ってます。
[#ここから2字下げ]
「私のこのごろを御知らせしようと思って今日の日記を御送します、大抵は毎日こんな工合にして暮してるんですから……」
[#ここで字下げ終わり]
とこう書いておしまいには、
[#ここから2字下げ]
「前の池の葵はもう咲いたでしょう、あの小っぽけな白い花が大すきなんですからいつかおして送って下さいな。ホラ、去年二人でこの花とりに池に行ったらわきの小川に、蝦《えび》がいっぱい居たんでたもとの中にとってかえって行きには蝦につられてあのこわい丸木ばしを渡ったけど、帰には渡れなくなって遠まわりをしてかえる内に袂の海老があつさにあてられてみんな死んでしまって、笑われましたっけネー。又そんな事を思い出すと行きたくなりますけど、こっちに居て少し勉強しようとも思ってるんでまだ中ぶらんりんなんです。
はっきりしたら又お知らせ上ようと思ってますけれども、…………
小さいだるまさんのような弟さんによろしく。貴方よく風邪をひく方だから体を大切になすってネ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から4字上げ]さようなら
[#ここから2字下げ]
姉さんのような
妹さんのような御方へ」
[#ここで字下げ終わり]
って書いた。
私より年上で居て私より妹のような人だから「姉さんのような妹さんのような御方へ」と書いたんで随分のんき□[#「□」に「(一字不明)」の注記]しぶいかおしたって□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]ないから私が大すきなんである。
七月二十五日
フンワリと包まれたような気持で目がさめた。「今日はキットよくいろんな事が出来る」と斯う思われた。一夜の間にあおいの花は散ってしまった。青い苔の生えたしっとりとした黒土の上に見すぼらしい、みじめな形をした花が六つほど一っかたまりになって落ちて居た。フット、壇の浦の波の底に沈んだ若い女をフカブカと思わされるような形をして……コスモスが日かげにありながらも大変大きくなってつっかえをしてやらなくっちゃあならないほどになった。あんな暗いじめじめしたところに居ながら、とあの細い茎や根のすみずみにまで行きわたって居る、生の力の偉《おお》きなのにびっくりした。それと一緒にその一枚の葉でもわけなしでむしると云う事がいかにもみじめに思われてあの細い躰から血がながれそうに想像された。
八つ手の白い葉裏にあかと黒の先《せん》だって中《じゅう》はやって居た黒地に黄模様のはん袴のようなテントー虫が三つ、ポツン――ポツーンポツーンと言葉に云ったらこんな工合に散って居た。こんな事を御飯すぎて庭に出て見つけた、八つ手のうらのテントームシは何となくそのまんま忘れてはすまないように思われたんで、短いものを一つにまとめて置いた。それから落ついた今までないような余裕のある心地で机に坐った。
数学と、英語と地理、これだけのしなくちゃあならない事をすましてから Beggar と云うのを読んだ[#「だ」に「(ママ)」の注記]見た。
[#ここから1字下げ]
「丈の長い男と同じほどの又それよりも大きい体で
まるで海賊の女王としても似あわしいほどの女だった」
[#ここで字下げ終わり]
日本にこんな大きな立派な体の女乞食はまだ私は見た事がない、乞食でもそんななら少しは見いいんだろうと思った。
借りた「イノック・アーデン」をよんだ、初めからおしまいまで涙の出そうな詩であった。長い間苦労して久しぶりで故郷にかえっても面と自分の妻子に会う事は出来てもしないでただ宿の主に言づけして死んで行ったイノックが、その立派な心と一緒によみおわってからは頬がつめたくなって居た。
朝起きるとからかなりいろいろの刺げきをうけて居る私は、おひるっからになっても一寸した木の葉にも小虫にも思いやりが有った。
花活に入れるんだからと云われてナヨナヨとした孔雀草に青く光るはさみをあてた時も自分の心にそむいてあべこべの方に走るような苦しい心持でいたわるようにそろっと十本ばかりをきった、まるで草にうらまれて居るような心持で……。
私はこんなに急にふびんがる、心がどうして起ったのかと思われた、そしてひろいものをしたようにうれしかったけれどもこれも一日ごと、一時間ごとに変って動いて行く、二日とつづいて同じきもちのして居た事のない私の気持だと思うと又悲しいような気にもなった。
私は花をきりピヤノにつやぶきんをかけ、ダンテの半身像をみがいて手を洗い、かおをあらって出まどのわきにクッションを敷いて坐って他人の事でもあるように
[#ここから1字下げ]
「どうして私の心は一日ごとに一時間ごとにこう違うんだろう?」
[#ここで字下げ終わり]
と考えた。うすい木の棚からシみ出るニスの香を鼻の奥でかぎながらどうしてもわからせてしまわなければならない、と思って考えてた。一時間、もそうやって居た、けども分らなかった。
[#ここから1字下げ]
「自分のもので居ながらどうして自分で分らないんだろう」
[#ここで字下げ終わり]
私は自分がいかにも無智な草木よりも、五寸位ほかはなれて居ないもののように思われて来た。
「我ままで?」
「気まぐれで?」
「生意気で?」
数々ならべたてて目ろくのようにしても私の心の深いところにひそんで居るものは「ウン」と合点してくれなかった。
「可哀そうな子だネーお前はー、自分の心が自分でわからないでサァ」泣きたいような心持でなげつけるように一人ごとを云った。そうして、未練らしくたち上った。目ぶたの内がわがあつくなって居た。
それから重いものを抱いてるような心地で夜の来るのをまって居た。
夜は一番、私のうれしいたのしみな時である。私はそのよるの来るのばかりまって居た。まちあぐんで居た夜になっても「可哀そうな子だねーおまえは」と心んなかでささやいて居た。私は今夜にかぎって妙に母のそばをはなれたくなくなった。だまって、母の椅子のわきにすわってその肱かけに頭をのっけて居た。暑いからと云われてもどかなかった。
「早く御やすみ、つかれたようなかおして」
母に云われて
「おやすみなさいまし」
と云った、自分の声はいつもより、いかにも子らしいおだやかさであった。
私は悪い夢にうなされないようにとねがいながら床に入った。
七月二十六日
今日一日、思い出してもいやなような不安な落つきのない一日であった。
おとといっから御なかが痛むと云って居た母は大変今日になったらくるしくなってとうとうもどしてしまった、私は目に涙をうかべながらいろいろと世話をした、別に大してかなしかったんではなかったけれど……
大きい方の弟[#中條国男、中條家長男]の熱が又上って八度になったので、母は自分の体も忘れて
[#ここから1字下げ]
「一時間毎に熱を御とり……ふみぬがないようにネ、
やたらに水をのんではいけないんだから……」
[#ここで字下げ終わり]
と年よりのような声を出して心配して居た。電報が来て「父[#中條精一郎]があすの朝の八時につく」としらせて来たんで、必要のところへはみんな電話をかけて知らせて置いた。
電話室がうすくらいので蚊に足をくわれるしとりつぎに出た人達がみんなはっきりわからないんで業をにやしたりして四十分も立たされてしまった。
むし歯がすこしいたみ出して眉の上のところへ神経痛がかたのさきから転宅して来た。
ブンブンが夜はマントルをこわしてしまったのでとりかえると、また一寸たってからとび込んで、自分も羽根をやいて少し毛のすりきれたジュータンの上に落ちた。
[#ここから1字下げ]
「ホラみた事か、だからわるさは御やめにするがいいのに」
私は虫をにらみながらこんな事を云った。
けれども「女王さまのおおせで命にかけて
灯をあさるわしゃひとり虫」
[#ここで字下げ終わり]
フット心の中で何ともつかないこんなものを考えたらみじめになった。
そのさきを考えようとしても出て来なかった。別な虫の三度目に飛び込んだ時にはほやをひび入らせてしまった。桃色のかさのかかったスッキリした形をしたスタンドをつ
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