先輩たちの心持――が、浩に対する信用とも、好意ともなって、表われてきたのである。
 が、青年となった浩には、ただK商店の忠実な一使用人というだけでは、満足出来ない何か或るものがその衷心に起った。毎日をさしたる苦労もないかわり、また跳り上るほど大きな歓びもなく、馴れた事務を無感激にとっているだけで、自分の生活を全部とするには、不安な頼りない心持があった。彼の生れつき強い読書慾は、心に不満のあった彼を文学で癒すように導いた。浩は十七になった年から、盛に読み出した。僅かな時間を割《さ》いて図書館に通った。そして、ほんとに自分を育てて行く力というものを、自分自身のうちに発見すると同時に、すべてにおいて「自分」の自由でない毎日の生活が、ますます満足出来なかった。彼は決して贅沢《ぜいたく》なことはのぞまないが、もう少し静寂な時間と、自分独りの時間が欲しかった。けれども浩はよく働いた。真面目に上役の命令に服した。若し考えることを望むなら、それより先に食べる方を安全にしておく必要がある。それ故、目下生活状態を変えることは、不可能であった。まだ十九の、この春学校を出たばかりの者に、十五円ずつ支給してくれ
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