どこかに、大穴がポッカリ明いたようでもある。体中に強い圧《おもし》を加えられているようで、息苦しかった。目の奥で天井と床が一かたまりに見えるほど混乱しながら、傍で見れば、茫然と無感動らしい挙動で、浩は今まで庸之助の使っていた机上に、並べられてある遺留品を眺めていた。使いかけの赤、黒のインク壺、硯、その他|塵紙《ちりがみ》や古雑誌のゴタゴタしている真中に、黒く足跡のついた上草履が、誰かのいたずらで、きっちり並べられてある。指紋まで見えそうに写っている足跡を見ると、浩は急に、年中湿って冷たかった、膏性《あぶらしょう》の庸之助の手の感触を思い出した。その思い出が、急に焼けつくほどの愛情を燃え立たせた。彼の心に、はっきりと淋しさが辷り込んで来た。涙がおのずと湧いた。
「とうとうこうなったなあ……。あの人も好い人だったのに!」
 自分の机に坐って、あて途もなくあるものに、手を触れて心をまぎらそうとしていた彼は、鉄の文鎮《ぶんちん》の下に、一本の封書を発見した。ハッと思って、一度目はほとんど意味も分らずに読んだ。二度三度、浩は一行ほか書いてない庸之助の置手紙を離そうともしなかった。それは端々の震え
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