でもなったでしょうよ」
 喘息だと見えて、喉をゼイゼイ云わせながら、気のなさそうに答えると、爺さんはまた不機嫌らしく、
「ア夕刊、ア夕刊!」
と力なく叫びながら鈴を鳴らし始めた。賑やかな街の真中に、寒さに震えながら立ち竦《すく》んだようにしている爺さんは、まるで、瀕死の鷺《さぎ》が、目を瞑り汚れた羽毛をけば立てて、一本脚で立っているように見えた。
 浩は手持不沙汰にその様子をながめながら、考えた。
「職工になることはあり得べきことである。それもいい。けれども、自分に無断で姿を隠す必要がどこにあるだろう?」
 何か嬉しくない事件でも起ったのだろうということが、推察された。がどうしても仕方がない。爺さんに礼を云って歩きながらも、浩は気が気でないような心持がした。若し誰も知らないところで病《わずら》って、そのまま死んででもしまったらと思うと、自ずと涙ぐまれた。雨が降る晩などは、濡れそぼけて行倒れとなっている庸之助を夢にまで見ながら、また先のように思いがけない機会が、思いがけないところで彼に引き合わせてくれることを、心願いにしていたのである。
 けれども、庸之助と、浩との間には、そのとき既に偶
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