、立って向うの隅にいるもう一人の処へ行った。
彼は杵築《きづき》庸之助という本名で、木綿さんというあだ名を持っている。人間は黒木綿の着物と、白木綿の兵児帯《へこおび》で、どんなときでも充分だという主義を持っていて、夏冬共その通り実行していたからなのである。ときには滑稽だとほかいいようのないほど、馬鹿正直な、生一本な彼は、他の若い者の仲間からはずれた挙動ばかりしている。冗談も云わず、ろくに笑いもしない。徹頭徹尾謹厳だといわれたがっているように見られた庸之助は、或る意味の嫉視《しっし》と侮蔑から変物扱いにされていたのである。武士道の遵奉者であった。
「浩さん! 手紙か?」彼は仲間の上に身をかがめた。
「うん。もう君はお止めなのかい? まだいつもより早いんじゃあないか!」
「駄目だよ。奴等の騒で考えも何もめちゃめちゃだ。何があんなにおかしいんだ。娘っ子のように暇さえあれば、ゲラゲラ、ゲラゲラ、笑ってばかりいやがる」
庸之助は、浩に対してよりも、もっと当つけらしい口調で云った。一つ二つの顔が振向いた。そしてもう一層の大笑いが、壁をゆするようにして起った。彼の口小言を嘲笑したのはいうまでもな
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