っていた。「早くよくなってお帰り」とか、「今度会うときには、さぞ達者らしくなっているだろう」とか云いながらも、変な心持がしていた。浩はその中に立って、自分の周囲に、「云っちゃあいけないんだろう? え?」というささやきが飛び合うているように感じた。それに拘らず、永年の習慣で、人達は、非常に自然らしい技巧で、手際よく表面を、円滑にしていた。
出発の日は陰気な、いやにドンヨリした天気であった。浩が午後七時の列車で立つ姉達を送りに停車場へかけつけたときは、もうよほど時間が迫ったので、何事も落付いて話す余裕がなかった。もう何年も旅という声さえ聞かなかったお咲は、息子の手をしっかり握りながら、かなりまごまごして、はたの者の云うことなどは、よくも耳に止まらぬらしかった。天井も床も一緒くたに掻き廻すような騒々しさに、彼女は全くのぼせ上っていた。けれども、心の底にはいつでも涙がこぼれそうな悲しさがあった。なけなしの懐から、空気枕だの菓子などを買って来た浩に対しても、疲れていながら、わざわざ送って来てくれた良人に対しても、彼女は、もうお別れだという心持をしみじみと感じた。「私はもう死にに帰るのかもしれない」というように、皆の顔を眺めているお咲を見ると、見送りに来た者も、妙に滅入った心持になって、ただ帰国するものを送るというより以上に、何か重たいものが、のしかかって来る気がした。恭二などが、いろいろ咲二に優しい言葉をかけたり、お咲を労《いた》わったりしているのを見ても、浩はほんとうに、もう帰るとか帰らないとかいうことを、問題にもならなくしてしまう予感が、この別れ際に彼女に各自の愛情を注がせているのではないかということさえ考えた。そして、強いて皆が、安心そうに、全快し帰京することなどを話しているのを見ると、幾分腹立たしいような心持がした。あらゆる予感、予覚というものを、かなり強く信じている浩は、せめて自分だけでも、こぼしたい涙をこぼしきってしまいたかった。がそれも出来ない。普通の通りに、別れの言葉をのべて、注意を与え、ほとんど無意識に出るほど口についている、よろしくを加えた。無事な中でも、最も無難な行程を選んで、すべてがそれはそれは穏やかな様子で済んでしまった。窓からのり出しているお咲の顔が、列車の動揺につれて揺すれながら、名残惜しそうに停車場の方を見送っていた。
この夕方も、庸之助
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