術的良心が、一致しない奔流となって、彼の体中に渦巻いた。
息子の決然とした態度に、孝之進の心は、たじろぎ、よろめいた。大きな大きな絶望が、真暗な谷底へ、一気に彼を蹴落したのである。説明のつかない涙が、とめどもなくこぼれた。親子二人が、卓子《テーブル》を挾んで、男泣きに泣いているとき、すぐ傍の若い者達の部屋では、幾度ともなく、笑声が崩れては響いた。浩は、無言のまま強い緊張で、後頭から頸筋にかけての筋肉が、重く強直してしまったような心持でいた。
「二度と顔を見ぬ」
孝之進は、帰りしなにまた繰返した。そしてトボトボと帰途に就いた。浩は夜道を独りやるに忍びないので、幾度送って行くと云っても、孝之進はきかなかった。
「貴様のような奴に送られんでもよい!」
けれども、彼がK商店の門を出て停留所まで来る間に、振返って見ると、一つの人影が、幾らかの間隔をおいて自分について来るのを発見した。浩だということはすぐ分った。けれども孝之進は知らない振をして、じきに来た電車に乗ってしまった。が、いざ自分が乗ろうとしたとき、浩の影がお辞儀をしたらしく見えたことが、非常に孝之進の心を掻き乱した。駈け戻って、叱り過ぎたと云いたいような心持が強く起った。が、そうするだけの勇気が、彼にはなかった。
「可哀そうなお父さん! ほんとに可哀そうなお父さん! あなたの心持は分っています。よく! けれども、あなたの思っていらっしゃる偉い人には、私はならないでしょう!」
大きい音を立てながら、馳け去る電車のかげを追いながら浩はつぶやいた。
居眠っているような姿で、思い沈んだまま孝之進は小石川のはてまで、運ばれて行った。停留場のすぐ傍から、家までの道路は、瓦斯《ガス》だか、水道だかの工事で、そこここ掘返されていた。低く、暗く灯っているランプの明りなどでは、視力の弱っている孝之進に、平らな地面と、泥や砂利などのゴタゴタ盛上っているところとの見境いが、はっきり解ろうはずがない。まして、心が疲れ、望みを失ったようになっている今、その混雑した路を、巧く通り抜けることは、非常に困難なことである。孝之進は、ちょうど盲人の通りに、上半身を心持後へそらせ、杖がわりに持っている洋傘《こうもり》で、前方を探り探りたどって行った。ところへ後から追いついた一台の自転車が、彼に突かかりそうに近よってから、耳元で威すように激しくベル
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