つ戻りつしはじめた。
何から何まであまり不意だったので、訳の分らなかった浩は、云われるままに新聞を見ると、庸之助のつけたらしい、爪や涙のあとのある部分には、読者の興味を、さほど期待しないような活字と標題《みだし》で――郡役所の官金費消事件が載せられていた。
「――郡!……?」
浩の脳裡を雷のように一条のものが走った。皆解った。庸之助の父親はここの郡書記をしているのであった。果して、拘引された者の一人として、杵築好親という名が、並べてある。浩は何だか変な心持になった。それは悲しいのでも、恐ろしいのでもない。苦甘いような感情が一杯になって、庸之助に何と云ったら好いのか、解らなかった。彼は新聞をもとのように畳みながら、だまっていた。
「見たか?」
「うん!」
「どうしたら好かろう……」
二人はそろそろと歩き出した。
正直そうな、四角い――目や鼻が几帳面に、あまりキッチリ定規で引いたようについていて、どこにも表情のない――庸之助の顔は、青ざめて引き歪んでいる。例の紺木綿の着物の衿に顎を入れて、体中で苦しんでいるらしい姿を見ると、大きな声で唄うように字を読みながら植えて行く、植字小僧のことを、浩は思い浮べた。
「杵築、杵築……好、好親!」と平気に、何事もなく植えられたのだ。変な感じは、一層強く彼の心に拡がったのである。
「親父は何にしろ、あまり敵を作るからね……」
庸之助は、僅かずつ前へ動いて行く足の先を見ながら、独言するように云った。
「ああいう役所にいて、頭の下らない者は損だよ。今度のことも、いずれ平常から親父を憎んでいる奴がこのときこそと思って、企らみやがったのだと思うがなあ……。皆世の中が腐敗したからなんだ。親父のように硬骨な者は、出来るだけすっこませようとばっかりしやがる!」
常から、現代の種々な思想、事物に反感を持って、攻撃ばかりしている庸之助は、今度のことに持論を一層堅たくしたらしく見えた。彼が「今」に生きている人間であるのを忘れたように、この事件のかげに潜んでいることを罵倒した。
「君は僕の親がそんな破廉恥な所業をすると思うかい? え?」
庸之助は、浩が当の相手のように、意気まいて、つめよりながら鋭く訊ねた。
「僕の親父はそんな人間だと思うかよ!」
「そんなことはあるまいとは思うが、僕には分らない」
「なぜ分らないんだ?」憤りで声が太くなった。
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