、咲二の指の先をながめた。
「術、術でありますよ。術というものは、恐しい利益《りやく》のあるもんでなあ。ほれね、出ますだろう? なかなかふんだんに出ますわなあ」
 咲二は息もつけなかった、婆が鬼のように見えた。こわくてこわくて、済むや否や転びそうになって、逃げ出したまま、永いこと家へ入らなかった。戸棚をあけでもしたら、さっきの婆がまた飛び出して来そうな気がしたのである。
 その日一日咲二はどうにかなってしまったようにおとなしかった。壁土を食べるのも見つけられなかった。それ故、家の者達はもう利いたのだと思った。うすうす馬鹿にしていたのがもったいなかったとさえ思わせた。どうにかして、自分の寿命を縮めてもいいから、咲二を人並みにしたいと腐心しているお咲は、天にも昇る心地がした。これでなおってくれれば、何という有難いことだかと、あのきたなく、いくらか臭くもあるらしい婆が神様より尊く思えた。ヤレヤレと心から思った。そしてその晩は、傍に寝ている咲二がうなされて泣き出すのも知らずに熟睡した。自分の体の工合まで、はっきりと引き立ったようにまで感じられたのである。
 二日三日と禁厭がされるうちに、咲二はこの一日に一度の攻め苦は、とうてい不可抗的のものであると、観念した。禁厭が始まるごとに、彼は一種の軽い幻覚状態に陥り出した。が、誰も知らなかった。十の指の先からは、集めたら、どのくらいになるか分らないほど、たくさんの「かげ」が、さわさわ、さわさわと出た。
 四日目の日は、眩ゆいほど好いお天気であった。今日でお仕舞いというので、すべてが念入りに行われた。
 いつもの通り、十の指の先から、かげが湧き出した。けれども、どうしたことか! 今日は今までよりも倍も倍もたくさんのかげが、透き通る細い蚯蚓《みみず》のような形をして、ほんとうにさわさわ、さわさわと音まで立てるほど、同じようにまがりくねって後から後からと湧いて来るのを、咲二は見た。恐れで心が寒くなった。ところへ、「ホラ! 御覧なされ。今日は頭の地からも出て来ますわな。ホラ!」という禁厭使いの声を聞くと同時に、咲二は自分の体の中から、千も万もの細い細い糸が、絶え間なくスルスル、スルスルと引き出されているような感じを得た。彼は体の「なかみ」がスーッと空っぽになったと思った。そのとき、咲二の目の前には真白で大きく太った、目も口も鼻もないものが、
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