心でのびのびとした心から、涙が滲み出るのを浩は感じさえしたほどであった。
二人の立ち話しは以前にも増してしばしばになり、また互のためになった。二人の住むまるで異った生活から得たいろいろの話材が、各自を益し合ったのである。
一度心が善を求めて来出すと、庸之助はこの日常の自分の生活が堪らなく呪わしくなって来た。到るところに醜いものがある。卑劣な感情がある。互に悪い深みへ深みへと誘い合って落ちて行こうとするような周囲の状態を見ると、庸之助は浩が羨しくなった。下等な争論や憎しみのない世界へ住みたい。この世間は穢れているという、彼の意見がまた心を占領し、あくまで奮闘して社会の改良者となるべき未来を想像したのであった。
お咲は国へ帰ると、もうすっかり気がのびのびとなった。境遇の変化が非常に彼女の心を慰めて、毎日毎日思い出の中に、体ごととけこんだような日ばかりが続いたのである。
子供時代の思い出――貧しい、父親のこわいなかで、矢のように早く通り過ぎてしまいはしたものの、さすがに今回想すれば、自然と涙の出るような追憶が、眺める一本の樹木、一条の小川からも湧き返って来るのである。
垣根の「うつぎ」の芽を摘んでは、胡桃《くるみ》あえにして食べたこと、川へ雑魚《ざこ》を掬《すく》いに行って、下駄や鍋を流してしまったこと。赤坊だった浩を守りしながら、つい遊びほうけて、どこへか置去りにしてしまったこと。お咲は目の前に、小さい小さい桃割――いつも根がつよくしまりすぎて、結いたてには、頭が下らないような気のしいしいした――に結って、黄色い着物を着せられていた自分が、泣きながらあっちの木の根から、こっちの木の根へと、紐ごと寝かせて置いたはずの浩を捜して歩いている姿が、まざまざと浮み上った。そして思いがけない、桜の木の下に、大きな目をあけて、拳をしゃぶっている浩を見つけたとき! 今でさえも、「ああ嬉しかったなあ!」と思うほど、恐らく一生の中に二度とはあるまい嬉しさであった。
孝之進は近所へ出かけ、おらくは裏の菜園の手入れをしている。家中が、物音一つしない静けさである。手ふさげに、解《ほど》きものをしながらお咲はほんとに安心した心持になっていた。咲二をねかしつけるときよく唄った唄が何となく口を洩れるくらい、彼女は心の「しん」が楽しんでいたのである。昔お江戸が繁盛の時分、流行《はや》った数
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