、ごく清潔なたちの勉が、男に媚る仕方などというものをまるで知らない素朴な若い妻を、そういう職業につかせる決心をした、その気持が、乙女を自分のところへよこしたことから、切なくひろ子には諒解された。勉がなくなった後、友子の心持にもひろ子の心持にも、残った乙女の暮しぶりに向けられていたにちがいない勉の懸念が映っていて、乙女が麻雀クラブにつとめはじめた時、ひろ子はその店のところへそれとなく行って見たりしたこともあった。ひろ子は、
「よく来たこと。きょうは――おそでの日?」
と、小柄な体を派手なセルにつつんで、胸高く赤い帯をしめてそこに座った乙女を眺めた。
「いつ旭川からかえったの?」
「もう一月ばっかしになるかしら。あっちへかえってもばっちゃんがうるさくて」
乙女はそう云うと、相変らず細くて長い両方の眉毛をつり上げるような表情をして、鼻に可愛い縦皺をよせながら笑った。それはどこか野兎に似た顔つきで、彼女の言葉にのこっている田舎の訛りとともに、乙女を描くなら蕪《かぶ》でも添えて描きたい感興をおこさせる人柄なのであった。
けれども、落付いてみるときょうの乙女は何となしいつもとちがうよそゆきの座りかた喋りかたで、時々柱時計の方を見上げては、下唇をなめている。昔この唇は荒れていて白かった。今は紅がぬられている。そういうちがいこそあっても、乙女が我知らず唇をなめるときには、きっと何か気がかりなことがその小さい薄い胸にかくされている、その癖にちがいはないのである。ひろ子は、それに気付くと半分ふざける親しさで、
「何思案をしているの」
と笑った。
「時間が心配? それなら用事かたづけてしまおう、ね」
乙女が勤めを大切に思うことを、ひろ子は寧ろ好感でうけた。
「友子さんのハガキのことね、どう思う?」
乙女は一層はげしく上唇、下唇となめたが、大きい二重瞼の二つの眼をひろ子の顔の上へ据えるようにして、
「そりゃ、一緒に暮して行ければあたいもいいと思う」
棒をのんだような緊張で一気に答えた。
「けんどね」
「うん」
下唇を、猶一度ゆっくりとなめて、乙女はその先を云い出した。
「もし一緒に住めないようなことになったとき」
そういう心配は、ひろ子にもすぐうなずけた。これまでの生活のなかでは幾度か、他動的にひろ子の家庭はこわれた。
「またあたい一人になって、こまっちゃわないだろか」
「あの時分とは全体がまるでちがって来ているもの」
「でも……ひろ子さんは、そういうときでもちゃんと成長して行けるけれど、あたいはやっぱり普通の女で、そうやっていたっていつまでたっても普通の女としてのこるばっかしだから……」
乙女は、唇をなめなめ云うのであったが、きいていて、ひろ子は自分の顔つきがぼんやりとしたおどろきから、次第につよい疑問へとかわって行くのを感じた。
眼を見開いたままのような表情で乙女が云い終ると、ひろ子は上気しているその乙女の顔から思わず視線をそらして低く、
「普通の女って……なんだろう……」
苦しげに呟いた。乙女の云ったことみんなの、はじめの方は、これまで知っている乙女の心から云えることであった。だが、あたいはやっぱり普通の女で、という、そういう云いまわしや自分の身を友達たちの生きている生活の波から区別してのもののみかたは、勉のものではもとよりなかったし、乙女が良人をなくしてから今日までの二年の間に、自分の生きて来た道から見出して来たものとも思われなかった。これは、乙女らしくない云いかたである。お前は、或は君は、普通の女なんだから云々と乙女に向って説得的に云っている男の声のなごりを、ひろ子は、まざまざとそこに感じた。
しかし、乙女は正直ものの頑固さであくまで自分に作用している男の考えのあることはうしろにおいて、自分一個として強いても胸を立ててひろ子に対し、ものをも云う態度になっている。乙女ひとりの芸ではない計画されたものがそこにもある。
一生懸命な乙女の小さい顔、人中《じんちゅう》のところに一つ黒子《ほくろ》のある上唇が生毛を微《かすか》に汗ばませてふるえているのを見ると、ひろ子は乙女が可哀想になった。これまでのよしみでひろ子たちへ深く結ばれている心持、けれども一方では男の言葉にひかれずにいられない女の心のありようが、ひろ子にみえないと思うのだろうか、分っていても、分らないことにして押しとおさなければならないようなものがあるというのだろうか。そういう影響のしかたが、何か男の側のまともでなさと感じられてひろ子は、暗い気がした。やがてひろ子はそのことには触れず、
「じゃあね。野兎さん、この話はおやめにしましょうね」
と悲しげに云った。
「でも一緒に住むとか住まないとかは別として、今あなたの云ったことね、普通の女だとかそうでないとかいうこと、ああ
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