わ」外套のボタンをはずしながら好子が云った。
「落着かないわねえ。何万人もが私たちみたいな心持でいるんだと思うと、夜中に目が醒めた時なんかとても変な気がするときがあるわ」
秋ごろ戦死した或る新劇の俳優の噂が出た。
「でも私秋子さんをまだ幸福な方だと思うわ、亡くなった旦那様の仕事を守ってやって行くちゃんとした俳優としての才能が御自分にもあるんですもの」
「そう簡単なものかしら……」
参吉と話したときもそうであったが、多喜子には、別な内容で秋子という女優のひとが経て行かなければならないであろう苦難の複雑さが深く思いやられるような気がした。
「一緒の仕事をしていて、しかもあの方たちみたいに、どっちかって云うと旦那様が指導的だった名コンビは、私は片方に死なれるのはこわいと思うわ。打撃がひとより深刻ですもの。才能っていうか、生きる意力っていうか、そういうものがよっぽどなければ、その深刻な打撃を芸術と生きる態度の上のプラスにするのがむずかしいもの。大変な努力だろうとしみじみ思うわ」
好子の良人は或る機械工場に勤めている技師であったが、この夫婦の生活の色合いは、例えば今も好子が、
「そりゃ、居
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