子が十五六の頃、小学校の同窓会雑誌に書いた、幻想的な作文のことなのであった。伸子は二十九歳になっていた。どうして、十五の少女のこころにかえることが出来たろう。伸子は、煙にむせて窒息しかけながら、そのトンネルはぬけきることを決心した者のように、小説を書きとおした。小説は、ある先輩の婦人作家のところで、偶然素子と知り合うところで終り、佃との破局的な情景が最後に描かれていた。
 片手を机の上へ頬杖につき、右手で雑誌から切りとったその小説の綴じあわせをめくりながら、伸子の面には、徐々に、しかしまぎらすことの出来ない力で迫って来る沈思の色が濃くなった。
 その小説をかき終って、伸子は一つのまじめな事実を学んだ。それは、佃も、女主人公の母も、女主人公そのものも、一人として悪人というような者はその関係の中にいなかった、ということである。佃にしろ、時と場所とをへだてて一人物として見ればむしろ正直な人であったことがわかった。多計代が、どういう男を好む性質かというような効果を捉えて行動したり、伸子への感情の表現を、多計代の気にもかなうように粉飾したりすることを、佃は知らなかった。越智の存在とその多計代への
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