てらであった。
 伸子は、ハトロン包みの花をもって風呂場へ行った。洗面器へ水をはって、ハトロン紙につつまれているままのバラの花をそこへつけた。それから壁にとりつけてある鏡に向って、髪をかきつけた。
 単純なその動作を終ると、伸子はたちまち次には何をしていいのかわからないような、とりつき場のない当惑にとらわれた。越智が来ている客間へは、どうにも入っていけないものがある。保のための家庭教師、高等学校へ入る試験準備の間、指導してもらった若い教育者である越智圭一は、はじめのうちは佐々の家庭にとって、みんなに一様の越智さんであった。勉強するときのほか、越智は食堂で雑談したし、客間で画集を見たりしている越智のまわりに、保も稚いつや子も出入りしていた。
 保が東京高校へ入学したのは前年の春であった。その夏、若い越智夫婦が田舎にある佐々の家に暮し、伸子はあとからそのときの写真をみせられたことがあった。大柄の浴衣をきて、なめらかな髪を真中からわけて結び、やせがたで憂鬱な情熱っぽい純子という夫人が、白服できちんと立っている越智と並んでうつっていた。夫人のからだにあらわれている、しめっぽくて、はげしそうな表
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