は華やかなよく響く調子で客と応待する母の声が、きょうはひとつも外へ洩れて来ない。不自然な気分で、伸子は廊下一つへだてた食堂の一方だけあいているドアから入った。
 寂びた赤うるしで秋の柿の実を、鉄やいぶした錫《すず》で面白く朽ち葉をあらわした火鉢に鉄瓶がかかっていた。炭がきれいにいかったまま白くたっている。部屋の気配は、ここにもう長い間坐っているひとがなかったことを感じさせた。
 女中が出て来て、
「いらっしゃいまし」
 よそのお客へするとおりのお辞儀をして、お茶をいれた。
「お父様山形なんだって?」
「さあ……」
 伸子が名もはっきり知らないその女中は、主人のゆくさきを知らないのは自分の責任ではないという風に、からだをよじった。
「ゆうべ、お立ちになったことはなったんでしょう」
「はあ……」
「まあ、いいわ、ありがとう」
 畳の上に絨毯《じゅうたん》をしき、坐って使う大テーブルを中央に据えてあるその部屋は、半分が洋風で片隅に深紅色のタイルをはった煖炉がきってあった。その煖炉の左右は、佐々ごのみで、イギリス流の長椅子になっている。その上に、どてらが袖だたみのままおいてあった。それは父のど
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