介の短篇をよむことは恥かしいと思っていなかった。そういう意味で相川良之介は漱石の系統での最後の文人であった。伸子はそう理解して来ていた。作家の間では、芸術的な良心の点で一目おかれていた相川良之介であった。その相川良之介がこういう風に彼の一生を閉じなければならなかったということは、彼を肯定して来たすべての人々にとって、また彼を肯定しきれなかったすべての人々にとって、ひとごとでなく迫ってゆくことではないのだろうか。
前月号の「文芸春秋」に相川良之介の「侏儒の言葉」という作品がのせられていた。いま再び頁をひらいてその作品を読めば伸子は身の毛のよだつ思いがした。「彼はペンをとる手さえふるえだしたのみならず、涎《よだれ》さえ流れ出した。〇・八のベロナールをつかいさめたのちは、はっきりしているのは僅か半時間か一時間だった。彼はただ薄暗い中にその日暮しの生活をしていた。言わば刃のこぼれてしまった細い劒《つるぎ》を杖にしながら」
そのようにふるえる手にペンをとって、その文章の中で現に相川良之介は涎をたらすようになってゆく自分というものの姿を凝視しそれを書いているのだが、その雑誌の特色として四段に区
前へ
次へ
全402ページ中270ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング