。
伸子の心に涙がにじんだ。越智にひきつけられている母を、伸子はつよい反感をもって見て来た。その伸子の反感を、越智はうがったように娘が母にたいしてもつ嫉妬だという風に分析したりして話しているだろう。娘の感情は、嫉妬というよりもすこしちがった動きかたもあるのに。――多計代がゆとりのあるその身辺におこす波瀾の筋立てが余り月並で、伸子は主としてそこに反感をそそられて来た。いま、多計代のせっぱつまった顔をみると、伸子はその反感をうしなった。少くとも多計代の感情には、嘘をつくことの習慣がない。この発見は伸子の心を同情ふかくした。
「おかあさま……」
伸子はやさしく、母の匂いのいい手の甲に自分の頬を近づけた。
「いってくだすってよかった」
頬をすりよせている伸子の心に、思い出されることがあった。昔、伸子が少女だったとき、多計代が教えたことがあった。男と、唇と唇との接吻をすると、それはもう結婚すると約束をしたも同然のことである、と。漠然と結婚は一生の一大事とだけ知っている少女の伸子の感情に、結婚の約束をしたことになるのだという多計代の真面目な重々しい言葉は決定的に威嚇的に刻みつけられた。もしか
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