生活の話などが出た。
「我々男性には大いに興味があるんですがね、一体、どういう風にやっているんだろうかと思って……」
 伸子は、
「どういう風にって?――」
 その男の、髭をはやしている瓜実顔《うりざねがお》を見た。
「この頃、そういう組合わせで女のひとが生活しはじめたの、やっぱりこれまでの女の生活がいろいろ疑問だからじゃないの。経済的にやれるようになって来たというところもあるでしょう」
「それゃ、わかるんですがね」
「じゃ、なにがわからないの」
「困るなあ」
 その男は秋田の訛《なまり》のある東京弁で、
「そうまともにきかれちゃあ、いいにくいが……どうもわからない」
 あとを独りごとめかして濁した。伸子は、もう若くないその男の半分真面目のような半分真面目でないような口元の表情や目くばりから、透明でない感じをうけた。女二人が仲がよくて、どうやっているのか。好奇心が、性的な意味に集中されていると伸子は感じた。それをいい出した男の有為転変的な生活のいく分を伸子は知っていた。いうひとのもっている空気とのつながりで、なにかえたいのしれないグロテスクなことが、その質問のかげに思惑されているように思えて、伸子は、そういう興味が向けられることを憎悪した。伸子とすれば、習俗に拘束されない、自由な女の生活を求めて、その可能をさがして、素子との暮しに入った。伸子が、もって生れた人なつこさや、孤独でいられない愛情の幅のなかで、素子にたより、甘え、生活の細目をリードされ、素子の風変りな感情にもある程度順応している。それが傍目に不自然に見られなければならないことだと、伸子には信じられなかった。
 二人が女であるという自然の条件と、女としての自然な自尊心からおのずと限界のある自分たちの感情の表現を、伸子は樹が風でそよぐようなものだと思った。鳥と鳥とが嘴をふれあうようなものだった。こういう男たちが誇張して想像しているようなあくどい生活は、自分にも素子にもなかった。伸子は、
「あなたがた男って妙ね。そして、いやだわ」
 おこった、上気した顔でいった。
「なぜ、きたならしいほうが気にいるの? 妙なほうがうれしいの?」
「いや決して、僕は、そういう意味でいったんじゃないんだが――」
「女の友達で、私たちにこんなことをいったひとはいなくてよ」
 伸子は、激しくそういった。すると素子が、かすれの伴ったもち前の声で皮肉に落ちついて、
「まあ心配してくれなくてもようござんすよ。わたしは、ともかく、男が女に惚れるように、女に惚れるんだから……」
「いや、どうも……何だか失敬なようなことになっちまって……」
 その話はそれぎりになった。
 素子が、伸子をはじめて体裁屋といったのは、そのときだった。
「なんだい、ぶこちゃん、どうして、夫婦のように暮しているのによけいな世話をやくなっていってやらないんだ、体裁屋!」
 しかし、伸子は、
「だって……」
 あの男のほのめかしたのは、どんなことだったのだろう。疑いをまだその目の底に湛えて、むしろ訴えるように素子を見あげながら、
「――ちがう……」
といった。
「だからさ。ああいう奴には、ざっぷり冷水をあびせてやるに限るんだよ。二人が暮している以上、いいたいことはいわしとく位の実意がなくてどうするのさ」
 三年前、文学上の先輩である楢崎佐保子のところで、伸子は偶然来あわせた吉見素子に紹介された。素子の小麦色のきめのこまかい棗形の顔や、上まぶたの弓なりに張った眼。縞の着物と羽織とを着て、帯や帯どめに小味な趣味を示していた素子は、日頃友人のすくない伸子に魅力を感じさせた。佃との生活が、破壊の一歩手前まで来ていた伸子には、佐保子から話された素子の一人ぐらしの生活ぶりも、女が主人となって暮している生活として印象ぶかく、羨しく思えた。伸子は、うちに落ちついていられなくなっている心を、単純に、せっかちに素子に繋いだ。散歩だとか小旅行だとかの習慣をもたない伸子は、素子に誘われて日比谷公園で鶴の噴水を見ながら実朝の和歌の話をしたりした。その歌の話から鎌倉へ遊びに行った。そういう時の素子は、女にこんなひとがあるかとおどろくほど主動的で、つれへのいたわりがゆきとどいて、伸子は楽しかった。実朝のうたの話をしていたとき、伸子はどうした拍子か為朝といいまちがえ、二三度そういってから自分で気がついた。
「あら、わたし為朝っていってやしなかったこと?」
 そういって伸子は顔をあかくした。
「どっちだっていいじゃありませんか、わかっているんだから……ちょっとごたついただけですよ」
 そういって素子は、伸子のばつの悪さを救った。
 伸子が、二度と佃の家へはかえらない決心をして、祖母が暮していた東北の田舎の家へ行った。そのとき、おっかけて楢崎佐保子からハガキが来た。吉見
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