「ヨをちぢめて飛ぶのよ」
「ピョンと?」
「そうだわ」
 盤をあけてみて、竹村は、
「なんだ、これゃダイアモンド・ゲームじゃないか」
 素子の顔をみた。
「そうさ」
「そうさ、もないもんだ。まあいいや、どうするんだって?」
 ルールを素子が説明し、伸子が赤、素子が黄、竹村が青のコマをもって、一めずつとびながら遊びはじめた。竹村のコマは一列だけとびはなれて前進し、素子の黄色陣地に迫った。
「どうだい、優勢だろう、この次は失敬して入城だよ」
「入城なもんか。あんたの陣に、そんなにぞっくりのこってるくせに。自分の陣からすっかり出きってからでなくちゃ、敵陣へは入れないんですよ」
「なあんだ! そんなことがあるんなら初めっからいっとくもんだよ、本当かな」
「あたりまえさ」
「そうですか?」
 竹村は伸子にきいた。
「そうやってるわ、いつも」
「じゃあまア、これでも進軍させようか」
 初めての竹村は、青いコマを盤の格子の上にいくつかのこして負けた。二度目に、竹村が、第一列のコマは、相手の陣の境界線の上まで行っていい筈だと主張した。
「そうじゃない、一本手前の線までさ」
「――これはダイアモンド・ゲームなんだろう」
「ああ」
「ダイアモンド・ゲームならそれがルールだよ」
「ダイアモンドだって、これはちがうんですよ、一本手前までしか行けないんだよ」
 竹村と素子とは変に熱中して、互の手許を見はりながら競争した。
「そら、ぶこちゃん、もう一つ行けるじゃないか」
「何だ、小癪な。じゃ、こうだ、ほら、ぴょん、ぴょん、ぴょんと!」
 段々普通のやりかたをかえて二コマずつとんでいい約束をこしらえたり、逆行していい契約をきめたりした。そしてますます混乱した。
「二コマとんでいいっていうならこうなるじゃないか」
「違うさ、それじゃ斜の線だもの、同じ線の上でなくちゃ」
「だって、こうだぜ、君は強情っぱりだなア」
 竹村もそんなことをいう気分になった。
「今更じゃないよ、自分だって相当偏窟のくせに」
「なに」
 そして竹村は小さなコマを、盤にめりこますように力を入れてすすめた。
「君は、五黄《ごおう》だろう」
「それがどうしたのさ」
「道理で。――うちの奴も五黄だった。五黄はいかんよ。頑迷だよ」
「――出したのか、出られちまったのか、わかりもしないくせに……」
 番がくると、黙ってコマをすすめている伸子の、どこか保に似て円い顔には、倦怠と憂鬱があらわれた。大体伸子は、遊戯に熱中できないたちだった。はじめのうちは気のりがしても、素子のように続かなかった。単純に遊ばず、お互のむしゃくしゃをぶつけあいながら争っているような竹村と素子との遊びかたは、よけいに伸子を疲らせた。
「もうやめだ、やめだ」
 勝てない竹村がそういって盤をたたんだとき、伸子は、
「それがいいわ」
 空虚にたえがたいという眼色になっていった。
「絵でも見た方がいい」
 すると、素子が、
「なんだい、えらそうに!」
 つよくマッチをすって、巻たばこに火をつけた。
「体裁屋!」
 竹村が帰って、卓の上をあと片づけしている伸子に視線をすえて、素子は、
「君は体裁屋だよ!」
 嘲りいどむようにいった。
「竹村なんかどう思ったっていいじゃないか」
「それはかまわないわ」
「じゃ、なぜあんなに、とりなそう、とりなそうとするんだ。私が不愉快がっているなら、勝手に不愉快がらしておいたらいいじゃないか」
「竹村さんが私たちの不愉快になるようなことをした? なにか」
「君に感じなくたって、わたしが不愉快を感じているんなら、それをたててくれていいじゃあないか。――自分ばかりいい子になろうとなんかしなくたっていいんだ、水臭い」
 とよ[#「とよ」に傍点]が台所で大根を刻んでいる、こまかくせわしいその庖丁の音をききながら、伸子は卓の上に頬杖をつき、こまかい雨の中にくれかかる夕暮の広い庭を見ていた。雨にぬれる雑草の中の萩の枝や遠くの生垣が、伸子の眼に浮ぶ薄い涙をとおしてよけい水っぽく見えている。
 これまでも、素子は二三度、なんだ、体裁屋! と罵って伸子を非難した。伸子は自分の性質に素子よりもよけいそういう俗っぽさがあるらしいということは理解出来た。ひとがどう思ったってかまわない。素子はほんとにそういう生活態度であった。伸子も、ひとの思惑を気づかって生きられないたちであった。けれども、伸子としては、ひとがどう思う、こう思う、ということのほかに、自分としてそれはいやなこと、ということがあった。そしてそれは、ひとがどう思う思わないにかかわらず、自分としていやなことなのであった。
 二人が一緒に生活しはじめて間もないころのことであった。素子のふるい友人で記者あがりの男が遊びに来た。そして、その時分から目立ったある婦人作家の女同士の
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