居の入口をあけた。土間に、テーブルと椅子と園芸用のごたごたがあって、右手が畳じきの六畳、四畳半になっていた。本箱、机、食卓。六畳にそういうものがおいてあって、次の室は寝室としてつかわれているらしかった。鉄金具の古い箪笥が見えた。土間のつづきに炊事場と風呂桶をおくところがあって、炭や薪が田舎らしく積みあげられている。小松菜と細根大根が、ぬいたままで、へっついわきに放り出してある。その明るく簡素な生活の仕組みを見て伸子はおどろく心持があった。素子と暮しはじめて間のないころ、はじめて竹村の家を訪ねたことがあった。よそからまわって、夕方近く竹村のところへ行った。竹村夫婦は、どこかの離室《はなれ》めいたところに暮していて、柴折戸《しおりど》のような門口から、飛石づたいにいきなり座敷の前に出た。軒近くまで庭木が茂りすぎて、土庇の長いその座敷は一層陰気に見えるなかに、気むずかしい顔で、眉の濃い竹村があぐらをかいていた。本がひろげたままおいてある卓が、二月堂だった。長方形の、朱漆で細い線のめぐらされているその卓さえ、気がきいているだけ、よけい座敷の空気を気づまりにしているような感じだった。素子と挨拶したままつい話しこみかけている細君に、
「おい、お茶をいれろ」
竹村がそう命じた。その声は乾いていて、濃い眉の下で眼がけわしくひらめいた。体裁でつくろいきれないそそけだった夫婦の気分で、伸子は、なぜ素子が自分をつれてここを訪ねたのか、いづらかった。そのとき、竹村は和服を着ていた。伸子の目には、二月堂の卓と趣味の上で一つのつながりがあるように見える変った織の和服をきて、陶器のパイプを本のわきにおいて眉をひきしめていた。
アトリエのような気分のある、からりとして未完成なこの建物の土間であっち向きにしゃがみ、七輪に火をおこしている竹村は、ひじのぬけかかった鼠色のジャケツを着て、テニス靴をはいている。眉の間に深く刻まれている二本の縦皺はもとのとおりだが、あの暗い座敷にじっと坐っていた竹村を思い出すと、生活の変化がおどろかれた。あの細君を離婚しなくては、竹村のこういう生活の変化もおこりようがなかったのだろうか。庭木の奥の洞穴のような離れで営まれていた生活も、細君が、そうしつらえたというより、はじめは確かに竹村が自分の趣味で、あの座敷も選び、渋いという風なあの雰囲気をつくって行ったのだろうのに、と思えた。
温室の経営をして、花をあきなって、ロシア文学の翻訳をする男の一人暮しというのも、やっぱり一つの竹村の好みというものではなかろうか。
建物の外に、ポンプがあって、そこからは畑の起伏と遠い森とが見晴らせた。温室のガラスを焔のようにもえたたせている西日は、溶けたような空の前に遠い森を黒く浮き立たせている。
「なに、ぼんやりしているのさ」
素子が出て来た。
「すこし歩かせすぎたかな。――じき茶が出るから、こっちで休んで下さい」
伸子は、六畳のあがりがまちへ腰かけて、土間で働いている竹村を見ていた。
「いずれにしても、一人じゃ、あんまり風雅すぎるでしょう」
素子が笑いながら竹村にいった。
「なかなかいいところがあるもんだよ、こういう生活も……」
「――もっとも、あんたのその手じゃ、ちょいと細君になりてもないだろうけど」
土いじりをし、万端の荒仕事をする竹村は火箸をもっている自分の手をちらりと見おろして、
「ふん」
といった。
「手がどうのこうのっていうような女と、誰が結婚なんかしてやるもんか」
そして、彼のななめうしろに足をぶらぶらさせていた伸子をふりかえった。
「ねえ」
伸子は、黙っていたが、ふっていた足を一瞬止めた。それはそうだけれど――ねえ、と自分をふりかえった竹村をそのままにはうけつけない感情が、伸子のどこかに動いた。
竹村がへっついをもやし、素子が土間の七輪で鰺《あじ》のひとしお[#「ひとしお」に傍点]を焼き、伸子が笊《ざる》に入っている茶碗を並べて、むき出しの電燈の下で夕飯がはじまった。
たべ終って、竹村がレコードを聴こうといい、伸子が、何となし気もすすまないでいるとき、急に、土間の隅で、何か生きものがさわぐような物音がした。
「何だろう、鼬《いたち》かい?」
「鳩だよ」
土間をすかし見ながら竹村がいった。
「つがいでいたのに雌が逃げちゃって、一羽のこってるんだ。夜ときどき出して飛ばしてやると、面白いね、そこの鏡に自分が映るだろう。それを仲間だと思うんだね、きっと。何べんも何べんも鏡へくちばしをぶっつけるよ」
古風な大きな飾鏡が、浅い床の間の柱にかかっていて、今はぼんやりとその面に電燈の光をうつしている。男が一人いる夜の部屋の中を白い鳩が翼をはためかして鏡のなかにうつる自分の姿を雌かと思って一心に近よろうとする光景を想像して、伸
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