たスペイン風の建物などがあり、桜並木には人気がなかった。雨の降る日にそこをとおると、桜の梢からしたたるこまかい雨の音がやわらかく並木通りのはしからはしまでみちていて、人っこ一人とおらない青葉のトンネルのような道のどこからか、ピアノがきこえたりした。
 竹村、素子、伸子という順に並んで、そこをとおりぬけ、分譲地の外がわにひろがっている田舎道へ出た。茂った草道や新緑の濃い灌木のかげにまばらな農家があるきりで、畑はゆるやかに傾斜しながら、三人の通る道から遠くまで見えた。鵞鳥が十羽ばかり、白い小さい花をつけた灌木のしげみと腐った棚の間に群れていて、三人の足音をききつけると、首をのばしてやかましくさわいだ。
「これゃいいや、番犬がわりにうちでも飼おうか」
 素子が笑った。
 やがて三人のゆく道の景色は変って、いかにも駒沢の奥らしく続いた竹藪と、農家の古い茅屋根の間に入った。大きい竹藪の茂みの間を縫って、湿っぽく薄暗く足音の消える細道の角に、赤い布を結びつけられたきたない顔の小さい石地蔵が立っていた。うす暗い藪かげにそれをみると、伸子は、
「――気味がわるい……」
 小声でそういって素子の手につかまった。
 いくらか足早にそこをぬけると、風景は再び前方に明るく展開して、小高く連なる耕地の裾をとおる一本道は、水勢のはやい流れに沿うた。柳が生えている川岸に、ここでも鵞鳥が黄色い嘴《くちばし》をふりながら餌をあさっている。丘になった耕地の彼方に、いかにも風車でもありそうな木造の洋風の高い小舎が眺められた。
「あれなにかしら……」
「なんだろうな」
 竹村は伸子にそうきかれてはじめて眺め直すように、そっちを見た。
「あなたのところ、あの近所?」
「すこし方角がちがう、もうすこしこっちになる」
 荷車が一台耕地の間の草道に置いてある、その方を指さした。
「もうそろそろついてもいい頃だな」
「栗の樹があるだろう? あの角を入ればすぐさ」
 ぐるりが畑の真中に、突然畑でない地面が四角く開いて、その垣根も何もないところにかなり大きい一棟の温室と、すこし離れて住居が建っていた。竹村は道を歩いて来たその足どりで住居のガラス窓へよって行き、白いカーテンのしまったところを一寸のぞいてみてから、おくれて来た素子と伸子を温室の入口で待った。
「さきに温室を見て貰おう、ね」
 ズボンのポケットから鍵を出して、竹村は温室の戸をあけた。素子が入り、伸子も内部へ踏みこんで、思わず、
「まあ!」
 声をあげた。一日じゅう日光の最後のぬくもりまで利用するように建てられている温室は、その時刻に丁度真向うから西日をうけていた。ガラスのまぶしい反射のために外からは見えなかったカーネーションの花の赤、白、ピンク、淡いクリームの色々が、入ってみれば温室いっぱいに咲き乱れている。しめりけのある温い空気は、粉っぽいカーネーションの薫りで満ち、近よって眺めると、見事な花冠をつけた茎のほそくつよく節だった緑の美しさ、やわらかな弾力にあふれてはね巻いている細葉の白っぽいような青さ。外気の荒さに痛められず、伸びて、繁って繚乱と咲いているカーネーションの花弁は美しくて、伸子はそこをかきわけるように入って行った人間たちの衣服の繊維のあらいこわさを、花々にふさわしくないものにさえ感じた。
「ひといろの花ばかりでいっぱいの温室って……はじめてだわ。気が遠くなるみたい」
 温室はそう大きくないのに、同じ花ばかり見てひとまわりすると、そこは限りなく奥深い広いところに思えた。伸子は、薫りに酔ってうるんだ眼になった。
 反対側を竹村とつれ立って見てまわりながら、素子がいっている。
「ほかの花はやらなかったんですか」
「何しろ第一年目だもの……功はいそぐべからず、さ」
「こんなに腕がいいとは思わなかった」竹村は、伸子がたたずんでいる側へ出て来て、それを育て、花さかせた者の注意ぶかい視線で花床《とこ》を見まわりながら、
「案外で、見直したろう」
 素子は、素子らしくきいている。
「この中で、すぐ切れるのは何本ぐらいあるんだろう」
「さあ」
 目算するように、竹村はひとわたり眺めた。
「かれこれ、四五十本というところかな」
 カーネーションは朝早いうちにぞっくらきられて、渋谷の市場へ運ばれるのであった。
 伸子は温室を出ながら竹村にきいた。
「この花がなくならないうちに、わたし、弟を来させてもいいかしら」
 花ずきの保に見せたら、どんなによろこぶだろうと伸子は思った。フレームでやれることはきまっていて、もうつまらなくなったといって、この間行ったとき保は水栽培で紫の立派なヒヤシンスを咲かせていた。
「いいとも。歓迎する」
「じゃ、なるたけ早く来るようにいうわ」
「それがいい。きりどきがあるから」
 別の鍵を出して、竹村は住
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