てもこたえない漁師の子たちの群とついその崖上の西洋にあるような家、そこを出たり入ったりする自分との対照は、伸子に何となしあたりまえでない感じだった。しかし泰造も多計代も、その崖の下に駅から走って来たハイヤを停めて、髪の赤い子供らに囲まれながら、ひと騒動して出入することについて、ちっともばつの悪さは感じないらしかった。伸子はそういう場合はにかみ[#「はにかみ」に傍点]からむっとしたような表情になった。多計代は、伸子のそういう感じかたをいらざることに思って、
「何が気の毒らしいことなんかあるもんですか。自分で力で建てたい家を建ててどこが悪いのさ、ばかばかしい」
そして、つけ加えた。
「大変妙な話さ。この頃は、何でも無産ばやりだけれど雇ってくれるものがなかったら、どうして貧乏なものは働いて行くのさ。雇ってくれるものがあるからこそ食って行けるんじゃないか。それを有難いとも思わないで……」
こういう話になると、泰造は、決して仲間に入らなかった。ヴェランダでいねむりをしている風をした。
佃と別れて一人暮しをはじめようと決心した頃、伸子は前崎の家に住めないかと思って多計代にきいてみたことがあった。
「おや、こんどは、あの家でも御迷惑じゃないと見えるね、御方便だこと!」
そういってからすこしの間考えていたが、多計代は、
「おことわりだね」
と、はっきりいった。
「あすこは、私たちのために建てたところだからね。ベッドだってほかにないんだし」
そういえば、前崎の家では洗面器にしろ家族は一つところを使うようにだけ作られている。多計代にすれば、そういうこともいやなのであろう。伸子はいそいで、
「いいのよ、いいのよ、決して無理にお願いしているんじゃないんだから……」
と、自分の希望を撤回した。それは、伸子がまだ素子に会わない前のことであった。素子とくらすようになってから、数年たつ間に多計代は一度も前崎の家へ娘たちを招ばなかった。泰造が何かの折に、伸子もたまには素子さんと来てみればいいのに、といったことがあった。すると多計代が、
「ごめんですよ。何をされるかしれたもんじゃない、気味がわるい」
即座に本気な眼つきでそういった。月日はそのまま過ぎて来ているのであった。
伸子は、素子とつれ立って桜並木の通りから住居の方へと小道を曲りながら、
「招待されないのがかえっていいのよ」
といった。
「わたしが、御秘蔵娘だったら、あなたなんか一日だってつきあっていられないくせに……」
「それゃそうだ」
前崎の家が、もしこんど多計代にとって激情からの難破をふせぐための一つの港となるならば、あの家にもいくらかの意味があった。多計代が反対の使い途を考えて、前崎へ行ったとは伸子に想像されなかった。
伸子は親たちと家屋や土地との関係を段々考えて行って一種のおもしろい心持になった。泰造は、小規模に自分の趣味を示す前崎の家を建てたり、実務的に税のないうちにガソリンのいらないヨーロッパ製の小型ビインを買ったりした。けれども、佐々の家には一軒の貸家も、収入となる一ヵ所の地所もなかった。それがあれば、ひとりでに儲かってゆくというような家とか地面とかをためていなかった。そういう点で泰造の生活態度は仕事に自信のある技術家らしい淡白さだった。多計代がむしろそういう点に用心ぶかさと積極性をもっていた。それにしろ十何年も昔、多計代がひどく意気込んで雪の日に見に行って買った北多摩の地面は、四季を通じてそこから富士が素晴らしくよく見えるというのがとりえなばかりで、地価さえろくにあがらず、今だに麦畑のままであった。
その日は、素子の母の命日というので、素子が甘いもの好きであったひとのためにおはぎをこしらえはじめた。御飯がすこし柔らかに炊けすぎて丸めにくい。家じゅう三人の女が台所の板の間でさわいでいるとき玄関へ誰か来た気配がした。とよが、手を洗って出て行ったが、眼のすわったような妙な顔つきで戻って来た。
「――こういう方が見えましたけれど……」
水を拭かないままのうす赤い指さきで、方眼紙の小型ノートのはしをむしった紙きれを出した。太い鉛筆で乱暴に「黒色連盟 山田」と書いてある。
「…………」
素子も伸子も知った名前でなかった。
「なんだろう」
とよが、気味わるそうなひそひそ声で告げた。
「三人づれの方でございます――ぼうぼう髪をのばして……何だか人相のよくない方なんですけれど……」
素子が、少しおびえた心持を、おこったような顔の上にあらわして、
「なんだい!」
といった。伸子には、いくらか思い当るところがあった。その時分、アナ・ボルということがいわれていて、黒といえばボルの赤に対してアナーキストのシムボルであることは知っていた。そういうグループの人々が、丸の内辺の会社や有名な人々
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