らねるまでにする自分のあれこれの動作さえ妙に身に添わず、周囲の出来ごとは遠のいて感じられた。同時に、大きすぎた衝撃にひきつづいたその反応の鈍いような状態は相川良之介の死という事件をめぐる外界にも感じられた。
 数日来ことのほか暑くて、庭の夏草のいきれさえ息苦しいような家のなかで、伸子は、いまは鈍刀の庖丁で刻まれる思いから、ほそい絹糸でからだじゅうをきつく縛られているような痛さで、相川良之介の行きくれてきわまった人生の過程を辿っているのであったが、新聞は、七月二十五日の朝相川良之介の自殺を大きく扱っただけで、翌日はもうそれについてどんな特別な記事ものせなかった。ただ早川閑次郎が、相川良之介氏の自殺について、という題で、それが特に社会的または文学的な意味をもつ死でないという結論の感想を発表しているだけだった。朝日の文芸欄などは、楢崎佐保子の「時と世間《モンド》」という別荘生活者の夏季随筆だけをつづけてのせている。伸子は、不思議な気がした。
 相川良之介というひとは、作家のなかでも広汎な読者をもっていた筈であった。外国の小説はよむし、漢詩もよむが、日本のいまの小説は、という人たちでも相川良之介の短篇をよむことは恥かしいと思っていなかった。そういう意味で相川良之介は漱石の系統での最後の文人であった。伸子はそう理解して来ていた。作家の間では、芸術的な良心の点で一目おかれていた相川良之介であった。その相川良之介がこういう風に彼の一生を閉じなければならなかったということは、彼を肯定して来たすべての人々にとって、また彼を肯定しきれなかったすべての人々にとって、ひとごとでなく迫ってゆくことではないのだろうか。
 前月号の「文芸春秋」に相川良之介の「侏儒の言葉」という作品がのせられていた。いま再び頁をひらいてその作品を読めば伸子は身の毛のよだつ思いがした。「彼はペンをとる手さえふるえだしたのみならず、涎《よだれ》さえ流れ出した。〇・八のベロナールをつかいさめたのちは、はっきりしているのは僅か半時間か一時間だった。彼はただ薄暗い中にその日暮しの生活をしていた。言わば刃のこぼれてしまった細い劒《つるぎ》を杖にしながら」
 そのようにふるえる手にペンをとって、その文章の中で現に相川良之介は涎をたらすようになってゆく自分というものの姿を凝視しそれを書いているのだが、その雑誌の特色として四段に区
前へ 次へ
全201ページ中135ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング