切られた頁の上にその文章をよんだとき、そこに相川良之介らしい文学的[#「文学的」に傍点]悽惨ばかりをつよく感じたのは、伸子の理解が浅薄なためばかりだったろうか。
いまになってみれば、それは「ある旧友への手紙」の中にいわれているとおり三年がかりの死への準備行動の一記録であった。よだれをながしながらも、正気を失わず、一歩一歩と死に入って行っている人間の文章が、どうしてもっときのままの恐怖でよむものをうたなかったろう。すべてが、こんなにあるままにかかれていて、それだのに、相川良之介は、どうしても文学的[#「文学的」に傍点]姿態からぬけられなかった。
率直に、漠然とした本質をそのまま「ただボンヤリした不安」と告白されているとりとめない不安を相川良之介が自分の将来にたいして感じはじめたとすれば、それは、彼の聰明さが、才能的な聰明の限界というものを直感しはじめたからではなかったのだろうか。そう考えつめれば伸子にもわかるところがあった。
けれども、やはりわかりきらなかった。彼のような博識と聰明とが、なぜ自覚されはじめた限界感の内側にとどまっていなければならなかったか。そこのところがわからなかった。相川良之介が、生活と文学との上に追随を許さない独自のものとして画して来たスタイルを、こわすまいとして、死を選んだというより、死にまで自分を追い立ててゆく過程で、もしや自分が自分をぬけ出ることがありはしまいかという期待がもたれたのではなかったか。それも、伸子にそうも思えるというだけで、彼の作品から直截にわかることはできなかった。
そのようにこみ入ったそのわからなさを、伸子は、自分の生活にもどこかでつながったものと感じた。その意味で自分にもボンヤリした不安はあるということが出来ると思った。自分だって、よりよく生きたいとねがい、痛切に生きることを感じながら生きたい、と思っていることはわかっているが、それならばどういう風にしてそれを実現してゆくかときかれて、答えられるようなへんじは伸子になかった。伸子は、現在の生活に感じている不満についての側から話すことは出来た。けれども、そこから育つ新しい方法については、わかっていなかった。素子はロシアへ行くときめた。伸子自身はどうなるだろう。のこるだろうか。ゆくだろうか。それもわかっていない。金銭の問題を別にして、自分の心の必然としてわかっていないの
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