ちらに見せ、机に向っている素子の横姿が眺められる。その素子が、昨今は忘れて暮しているなまあくびも、素子の一生にとっては因縁をもっていた。素子が、私立大学の露文科に勉強していた頃、その担任教授が、夏休みの間、積極的な学生数人をグループにして伊豆の海岸にある辺鄙《へんぴ》な温泉へ行った。質素な宿屋暮しをして、休暇中の勉強がてら、その教授の翻訳を手つだうという仕組であった。休暇も終りに近づいたとき、教授の発企で、みんなが大島の三原山へピクニックに出かけた。素子も当然その一行に加わって。――
海は荒かった。島へついた一行はいよいよ三原山のぼりにかかったが、一行の中でただ一人の若い女性だった素子は海でもまれたためくたびれて、間もなくついて行けなくなり、登山道のはたにある岩に腰かけて休むことにした。一行は先へゆき、一人の青年が素子とともにのこった。その青年は同じ大学の卒業生ではあったが科がちがった。政治科を出て高文の準備をしていた。偶然、同じ宿にとまりあわせ、夏の休みの勤勉であるがくつろいだ集団生活の中で接触し、三原山のぼりにも参加した。その青年が、岩に腰かけた素子の足もとにのこった。海水浴のときかぶる経木真田のつばびろ帽子で烈しい晩夏の光線を顔のところだけさえぎり、白い麻の着物をきて、ふっくりした手にえくぼのある素子の足もとに、スポーツ・シャツ姿のその青年が横になり、ぽつり、ぽつりものをいっている。素子は次第に胸苦しさがしずまってきた。そして何心なく、あくびを一つした。つづいてすぐまた一つした。間をおかず三つめのあくびが出たとき、素子はぼんやりした狼狽を感じた。どうして、こんなにあくびが出るんだろう、そう思った。そして、もうあくびをしまいと思った。あくびは普通退屈のとき出るものとされている。足許の青年は、自分がそんなに退屈なものと思われていると考えたら不愉快だろうし、素子はその青年に対して好い感情をもっていた。素子が、もうしまいと心で力めば力むほど、あくびはとまらなくなった。その青年はひょっと顔をあげて素子の顔を見、何かの話をきり出そうとした途端、素子の心もちとは全くちぐはぐなあくびがとめどもなくまた出た。青年はおどろいた様子で、素子がものも云わず涙をこぼしあくびしている顔から視線をそらした。素子は、そのときはっきりと感じた。何かの機会が、二人の間から去ったということを。素
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