も理解される。けれども、男のそういう態度《ポーズ》はやっぱり伸子に若い女としての反撥をおこさせた。その人々のフェミニズムが裏がえしになっていることには、社会的に個人的にいろいろいりくんだわけがあるはずだった。丁度素子が男みたい[#「男みたい」に傍点]になったことには親たちの結婚生活のかくれた悲劇が裏づけになっているように。そういう点につっこんでゆけば、機智や毒舌で片づかないものがあり、そしてそれこそ人間らしいあれこれであるのに、それを掘りかえす勇気はなくて、相対的に――女に向って、優越めいた逆説をたのしんでいる種類の男を、伸子はいやだった。彼らの毒舌や逆説で、くやしがる若い女の声や態度は、彼らをたのしませるのだ。そうわかっていても、やっぱりくやしいことはくやしいし腹が立つことは腹がたつ。――
 上野の五重の塔のいただきが森の上に見はらせる坂をゆっくりのぼって、伸子は同じ歩調でしずかな道をいそがず歩き、動坂の家の門をはいった。伸子は何となし視線をおとして門から玄関までの細くて奥のふかい石じき道を歩いていて、おや、と意外なものを見つけたように足をとめた。門を入って数歩のその足もとに大きい花の形にきられた石が、はめこまれていたのにはじめて目がとまった。五つの花弁の先はまるくコスモスの花に似た模様に石がはめこまれている。伸子は、その発見を非常にびっくりした。というのは、この石じき道ができたのは、もう数年前のことであり、伸子はそれから幾百度ここを通ったかしれないのに。――足もともそぞろに、せわしくこの家を出入りしていた自分の生活の姿が、まざまざと映しだされて、伸子は悲しく、すまなかったと思った。伸子はしばらくそこにたたずんで足もとの花をながめていた。石ではめこまれた花は石らしく素朴で、同時に、石をそういう花の形にはめているというところに人の心のおもしろさがある。伸子は、しばらく眺めていてから、いままで目にも入れずに暮して来たことをあやまる心持で、特別にそっとその花の形の石じきの上を草履でふんで奥へ歩いて行った。
 車庫の扉があいて車がはいっている。玄関にはもう灯がついている。伸子は、小走りになって重いガラス戸をあけた。これらは、みんないい前兆である。父の泰造がもう帰って来ているというしるしである。玄関の靴ぬぎ石の上に一足靴が揃えられてあった。お客様かしら、そう思いながら、どん
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