う自分の身なりに、伸子は本能的な気に入らなさ、野暮くささを感じながら、その感じで神経質になりながら、行儀よく、若い娘のぎごちなさで、稲田の客室に通された。切下げの老母が出ての、そつのない応待に、伸子は、いいえとか、そうでございます、とか短く答えた。
 泰造への返事の手紙を書き終ると、稲田は伸子に珍しい写真画集を見せた。世界名画の中から、婦人画家の作品ばかりを集めたものであった。伸子はよろこんで、
「あら、ロザ・ボンヌール!」
「馬市」を見出して顔をかがやかした。父のもっている色刷りの名画集で、伸子は「馬市」を見て覚えていたのであった。その本には、ボンヌールのほかにマリ・バシキルツェフとかイギリスの婦人肖像画家とか伸子の知らないたくさんの婦人画家の傑作が集められていた。
「面白いですか」
「面白いわ、こんなに大勢女のひとの絵かきがいたのね」
 稲田はぴたっとした坐りかたで、煙草をふかしながら、一枚一枚と頁をくっている伸子を眺めていた。やがて、
「伸子さん、その本あげましょうか」
といった。
「ほんと?」
「あげますよ。僕にはどうせいらないもんだから……。たかが女の絵かきなんて、どうせたいしたことはないんだからハハハハ」
 伸子は、涙ぐむほど、傷つけられた。熱心に見ていたよろこびが嘲弄されたように感じられ、ぎごちない娘である自分がそれをよろこんでいることが恥しめられたように感じた。そんなに思っている本なんか、ちっとも貰いたくない。むきにそう思った。けれども、そのままを言葉に出してことわることも出来なくて、その分厚い本を女中にもってもらって帰って来た。そして、もう二度と稲田のとこへなんか行かないと心にきめた。この建築家は後に、有名な赤坂の芸者であったひとを細君にした。
 今になって大人の女となった伸子として思えば、それは、稲田の毒舌と知人の間になりひびいていたその人のいいそうなことであったし、稲田の都会人らしいてらいや弱気のあらわれとも考えられた。しかし、一人前の男が、十六七の小娘にどうしてそんな態度をとらなければならなかっただろう。自由主義の評論家として大家の扱いをうけている早川閑次郎が、きょうの茶話会で中国女学生たちに話した話しぶりも思いあわされた。
 稲田信一や早川閑次郎の女に対しての毒舌と辛辣さは、結局裏がえされたフェミニズムの一種だということは、ちかごろは伸子に
前へ 次へ
全201ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング